#389 『真夜中の出来事・壱 聞こえる』
仕事柄、私の帰宅はいつも深夜の二時か三時になる。
別にブラック企業に勤めている訳ではない。食品を加工する会社で、定時後から行われる機械清掃とメンテナンスが私の仕事なのだ。従って、夕方から仕事をすれば当然帰りは真夜中になってしまうと言うだけである。
だが真夜中に帰宅すると言う事は結構貴重なものらしい。おかげで普通であれば体験出来ないような不思議な出来事に良く遭遇するのだ。
今回から四夜に渡って、私が体験した怪異について語らせていただこうと思う。その一夜目。
――私は通勤に、自転車を利用している。最初の内は徒歩で通っていたのだが、会社まで少々遠い上に、女性一人で真夜中の道を歩くのは危険だろうと上司に注意され、自転車を購入したのだ。
深夜も二時を過ぎれば、どこの家にも灯りが無い。私自身が踏むペダルの音だけが響き渡る、静寂の街となるのだ。ただ――とある一軒の家を除けばの話である。
問題の家は、長い坂を下りきった所にある。瓦屋根の古い日本家屋で、そこの家の一角にある窓から毎晩煌々たる光りが漏れているのである。
私はいつもその家の前は通り過ぎるだけ。しかも坂を下りきった場所の為、そこそこには速度も乗っている。だがそこを通り掛かった瞬間、いつもその窓から“声”が聞こえて来る。こんな時間に一体何があると言うのだろう、断片的な会話が、窓から流れ出して来ているのだ。
最初は全く気にもしていなかった。こうして真夜中まで仕事をしている人間もいるのだから、真夜中に起きていて話をしている人がいても不思議ではないと思っていたからである。
だが、次第に「妙だな」と思うようになって来た。なにしろそれは毎晩の事であり、しかもいつもいつもその窓の辺りで何人かが話をしているのである。それどころか――
「……るんじゃない?」
「いやぁ、そんな話は……」
あれ、この会話、昨日も聞いた気がすると、気付いてしまったのだ。
翌、深夜。再びそこを通り掛かった瞬間、私がは聞いてしまった。
「……るんじゃない?」
「いやぁ、そんな話は……」
やはり同じだ。瞬間私はゾッとした。この家の住人は毎晩こんな時間に同じ会話を続けているのだろうかと。
私はそっと自転車を降り、足音を忍ばせて引き返す。そしてその家の前へと差し掛かれば――
「……るんじゃない?」
「いやぁ、そんな話は……」
「でも私もそれ、聞いた事あるよ」
「あははははは、しょうもないなぁ」
そして途切れる会話。少しするとまた、「……るんじゃない?」と、会話が巻き戻る。
私はまた、そっと家から離れた。そして自転車に飛び乗り、一目散に駆け出して行く。
翌日、出勤の際にそこを通り掛かったのだが、おそらくは既に廃屋となっているのだろう、新聞受けからは郵便物が溢れ出し、窓にはカーテンが閉まっていた。
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