#385 『香典袋』

 旧友と再会し飲みに行ったのはいいのだが、ついつい話が長引き終電の時刻は完全に逃してしまった。

 駅へと出たがタクシーは捕まらない。酔った勢いもあって、十五駅分を徒歩で帰った。

 途中、靴を履いていない事に気付く。おそらくは先程までいた居酒屋のトイレ用のものだろう、青い安物のサンダルを引っ掛けていたのだ。

 しまったなぁと思いながらも、もう既に引き返そうと思える距離では無くなっている。

 ようやく家へと帰り着き、上着を脱いだだけでベッドへと倒れ込む。翌朝は思った通りの遅刻で、会社には「風邪をひいた」と嘘を言って休む事とした。

 昼過ぎ頃、ようやく起き上がれるぐらいには回復して来たらしく、トイレに立ったと同時に床に落ちた上着を拾う。そこでようやく気付く。その上着が自分のものではないと言う事に。

 道理で着ていて窮屈だったなと思い出す。するとその上着の内ポケットに何かが入っている事に気付く。見ればそれは大量の香典袋で、少なく見積もっても三十封はあるだろう。それがひとまとめに、ゴムで縛られているのだ。

 そっと一封を抜き出し中身を確認する。そこには五枚もの一万円札。おそらくはどれもまだ中身がそのままらしい。良く良く見ればその上着も黒の喪服なのだ。俺は驚いて、さすがにこれは返さなきゃならんと青くなった。

 何か本人に繋がるものはないかと他のポケットを探れば、今度は外側のポケットから鍵が一つ出て来た。鍵にはオレンジ色のタグが付いており、そこには駅名とナンバーが刻印されている。一瞬で理解した。これは会社側の最寄り駅のコインロッカーの鍵だと。

 風邪で休んだ事にしたのだが、行かない事には始まらない。店に靴を取りに行くついでもあり、渋々とふらつく足で外に出る。

 間違えた上着とサンダルは紙バッグに詰め、持って行った。どうか会社の人に会わないようにと祈りながら駅を降り、ナンバーを頼りにコインロッカーを探して回る。

 やがて、そのロッカーは見付かった。それは通路の行き当たりにある西側の端のロッカーで、ひと気はあまり無い。意を決して鍵を差し込むと、それは開いた。

 開けてみて驚いた。まず、靴があった。それはどう見ても俺が昨日、居酒屋に忘れて行ったであろう靴なのだ。

 そしてその奥に上着があった。丁寧に畳まれた俺の上着だ。俺はそれを見た瞬間、全てが仕組まれた事だと理解し、持っていた紙袋を中に詰め込むと、上着も靴も諦めて乱暴にドアを閉めて再び家の方向の電車へと飛び乗った。

 一体誰のしわざだろうと考えるが、全く心当たりは無い。

 揃えられた靴の先端はこちらを向き、畳まれた上着の上には、白く小さな“遺書”と書かれた手紙が添えられていたのだ。

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