#383 『渡しておくから』

 それは夜の十一時頃だったと思う。古くからの友人である磯端から電話が掛かって来たのだ。

「ようシンイチ、元気か?」と、数年ぶりに聞く友人の声はどこか覇気が無かった。

 磯端は世間話もほどほどに、「今夜逢えないか?」と俺に聞いた。俺は冗談だと思って、「いいけど何時にどこよ?」と返せば、意外にも「××公園に三時ちょうどに来てくれないか」と、真面目な声で言うのだ。

「おいおい、明日は別に休みとかじゃないんだぜ」と嫌がる素振りをすると、「頼むから来てくれ」と言うのである。なんでも、“渡すもの”があるのだと言う。

 あまりにも熱心に来てくれと頼むので、俺は仕方無く「起きられたら行くよ」と電話を切った。だが時計を見ればもう既に、三十分もすれば翌日と言う時刻。ここで寝たら絶対に三時前には起きられない自信があった為、俺は徹夜の覚悟を決める。

 ――午前二時五十分。約束通りの公園へと出向けば、街灯の光がぎりぎりで届いている辺りのベンチに人影が見えた。俺がその人影に近付くと、「ようシンイチ」と、向こうから声を掛けて来た。間違いなく磯端の声だった。

 開口一番、「これ返す」と、小さな箱を渡された。なんでも以前に俺に借りた本とCDらしい。「なんで今これを返さなきゃいけないんだよ」と不満を言うと、「今じゃなきゃ駄目だったんだ」と、磯端は言う。

「“渡しておくからな”」と、磯端は立ち上がり、「帰ったら中身を確かめて欲しい」とその場を立ち去った。俺はその背を見送りながら、なんて身勝手な奴なんだと腹を立てた。

 家に帰り、なんとなく箱を開ける。見れば確かに以前、あいつに貸したものばかり。だが――

 本の間に何かが挟まっていた。拾い上げるとそれは畳まれた紙で、表には堂々と“遺書”とある。俺は慌てて磯端に電話をするが、どうにも出ない。仕方無くその遺書を広げてみれば、文面はあまりにも素っ気なく、“俺は明日を待たずに逝く 終わりが来たらお前も誰かに渡せ”と書いてあった。

 意味が分からない。時刻はもう四時を回り、そろそろ空も白み始めて来る頃。俺はいてもたってもいられなく、まだほの暗い街を磯端の家に向かって駆けた。

 磯端は、いた。彼の家へと辿り着く前にそれを見付けた。近隣の人が集まって、吊された磯端の遺体を降ろす。遺書の通りに磯端は明日を待たずに逝ってしまったのだ。

 しばらくはそのショックで立ち直れずにいた。同時に磯端が言い残した言葉が気になって仕方がなかった。

“終わりが来たらお前も誰かに渡せ”

 どうしても意味が分からない。だが、どうやら俺にまで終わりが来るらしい。俺はとある休日に、磯端の残した遺書を持って近所のお寺を訪ねてみた。するとそこの住職は俺の顔を見るなり優しく微笑み、「今では無理だから、今夜はここに泊まっておいきなさい」と言うのだ。

 寺で寝ると言うのも初めての体験だなと思っていると、寝て僅かばかりの頃にはもう起こされ、本堂へと連れて行かれる。そしてそこでしばらくの読経が続いた後、「しばらく目を瞑ってなさい」と言われた。

 経を読みつつ、住職が俺の背後へと来る。そしておもむろに俺の背中を叩くと、そこから“何か”を引っ剥がした。ただ、その“何か”が分からない。例えるならば巨大なカブトムシのようなものが背中に張り付いているようで、剥がされる際にベリベリベリと服の繊維が解れていく感覚があったのだ。

「もう大丈夫です」言われたが、自分自身に何があったのかは、まるで説明してくれない。

「磯端もここに来れば助かったのかも知れないなぁ」と呟けば、住職は「それは違う」と首を振る。「彼は呪いで亡くなったのではなく、彼自身が自死する事で完成する呪いだったのですよ」と言われた。

 家に帰って、磯端から返された本とCDはすぐに処分した。ただ、彼にそこまで恨まれた原因と言うものについて、俺には心当たるものが無かったのである。

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