#378~379 『のっぺらぼうハウス』
元々、あまり素行のよろしくない子供だった。
軽犯罪を繰り返し、学校は退学。それ以降も二十歳になるまで親の金をせびって遊び歩く毎日。祖父と母には相当迷惑を掛けたと思っている。俺は俺で、クズ同然な父親とほぼ同じ道を歩いているだろう自覚があり、余計に自分自身に苛々としていた時期だったのだ。
ある時、「武(たけし)、ちょっと俺の部屋まで来い」と、祖父に呼ばれた。祖父は神妙な顔をして、「もうお前も大人なんだから、俺に代わって引き継いでもらわなきゃならん事がある」と、そう告げたのだ。
昔から爺ちゃんっ子だった俺は、なんの疑いもなく祖父の後に付いて行った。
行く先は、その方向からなんとなく察しが付いた。裏手の高台にある、“のっぺらぼうハウス”だ。
のっぺらぼうハウスとは、近所の連中が勝手に付けた名前だ。だがそう言う名が付いたのも分かる。なにしろその家は、やたらと大きな上に窓と言うものが一切無い、違法建築なのだ。
四方が全て固い板張りの木造家。窓どころか、縁の下も無ければ雨樋も無い。かろうじて上に屋根が載っている以外、まさにのっぺらぼうのような壁ばかりの家なのである。
祖父はたった一つだけポツリと存在するドアへと向かい、古びた鍵で解錠する。
実際、俺がその家の中に入った事は一度も無い。ただ、近所でそんな名前で呼ばれている家が、ウチの持ち家なのだと言う事を知っているだけなのだ。
家の前に立つ。何故かじわじわと足下から怖気が這い上がって来るような感覚がある。
ドアを開ける。するとそこにはもう一枚のドア。祖父は一度、最初のドアを内側から施錠してから次のドアを開いた。意味は分からないが、どうやらそれは「用心」らしい。
そしてその次のドアを開き、懐中電灯で照らした光景に言葉を失う。そこには“家”があったのだ。要するに、家全体をもう一つの大きな家で囲い、隠している。そんな感じなのである。
「覚えてるか?」と聞かれ、俺は頷く。確かにその家は俺の記憶にもあった。まだ幼い頃に住んでいた、昔ながらの古い家屋だ。
「どうしてここに?」と問えば、祖父はそれには答えず、「幸恵(さちえ)の記憶はあるか?」と聞く。俺はかろうじて覚えていた。「さちねぇ」と呼んで慕っていた姉がいた事を。
「その幸恵の亡霊が出るんだよ」と、祖父はその家の玄関口に立ってそう語る。俺は驚き、「さちねぇは死んだのか?」と聞けば、「そこはさすがに知らないだろう」と、祖父は玄関を開けて壁のスイッチを押す。かろうじて懐中電灯が不要な程度のほの暗い灯りがともる。
家の中は、俺の記憶の通りだった。祖父は土足のまま上がり込み、「昔はこの狭い家に全員で住んでいた」と、懐かしむような事を言う。
祖父は俺をうながし、二階へと上がって行く。そして廊下の突き当たりにある襖を開き、中へと踏み込んで行く。そこは確か、さちねぇが私室として使っていた部屋だと思い出す。
照明を点ける。そして俺は思わず、這い出た悲鳴を飲み込んだ。
部屋の奥には、粗末な作りの仏壇があった。位牌も無ければお鈴(りん)も無いが、確実にそれが仏壇だと分かるさちねぇの遺影が飾られていて、その後ろには姉が着ていたであろうブラウスとスカートが吊されていた。
あるのはただそれだけだ。だがそこから漂い出る念と言うか、気配と言うか、とにかく見ているだけで身体が震えて来るような、強烈な存在感があったのだ。
「幸恵はウチの遠い親戚筋の子だった」と、祖父は言う。「早くに両親を亡くしたので、ウチで養子として引き取った。だからお前とは再従兄弟(はとこ)の関係だった」
「それで?」
「お前の馬鹿親父が幸恵を殺した」と。祖父は怒気をはらんだ声で言う。同時に家のどこかが、パキンと鳴った。
「殺したって……殺人?」聞けば祖父は首を横に振り、「あいつが直接殺した訳じゃないんだ」と話す。
俺の親父は婿養子で、この祖父とは義理の親子なのである。親父は昔から道楽者で、仕事もせずに酒を飲んでは遊び歩くひどい男で、俺はこいつの血を引いているからこそこんな駄目な人間なんだと、いつもそんな劣等感を持っていたのだ。
「俺はもう長くねぇ。だから今後は、お前がここに来て線香あげろ」と、祖父は俺の目を覗き込む。「いいか、最低でも一週間に一度はここに来い。絶対に十日も空けたら駄目だぞ。そして線香をあげて、それが根元まで燃え尽きるまでここにいろ。後はなんもせんでいい、ただここに来て線香をあげてくれればそれいいから」
帰り際、「幸恵はこの家のどこにでもいる」と、祖父は教えてくれた。お前には恨みが無いから脅すような事はしないだろうが、時々、話し掛けて来る事があると思う。しっかりと幸恵の声に耳傾けろ――と祖父は俺に伝えて、後は完全に俺へと任せてしまったのだ。
翌日から、俺の度胸試しが始まった。祖父は一週間に一度と言っていたが、俺はなんの仕事もしていない引け目もあって、毎日そこを訪れる事を自身に課した。
最初の内は何事も起こらなかったのだが、四日目を過ぎた頃から、どこからともなくさちねぇのものらしい“声”が聞こえて来るようになった。それも最初の内はとても曖昧で言葉になってはいなかったのだが、日を重ねるごとに次第にそれが鮮明になって来る。
「タケシ、大きくなったのねぇ」
返事はせず、俺はひたすら仏壇に合掌しながら線香が燃え尽きるのを待った。
時には廊下の暗がりで人影のようなものを見たり、玄関辺りで「また明日ね」と、真後ろから声を掛けられたりもした。
そうして約一ヶ月が過ぎたある日の事。いつも通りに仏壇に線香を灯し、手を合わせていた時だ。
「あの人、誰?」と、子供の声。それに続いて、「あなたのお兄ちゃんよ」と言うさちねぇの声が、背後の廊下の方から聞こえて来たのだ。
――二人いる? どう言う事だろうと目を開く。ふと、仏壇の隅の奥の方に飾られた、クマの人形に目が留まる。
最初は、さちねぇが女性だからこそ、こんな可愛らしいぬいぐるみを置いたものだと思っていた。だが、いくらなんでも幼すぎる。さちねぇはあの当時、既に成人した大人だった筈だ。
次に、壁に吊された服を見る。まるで人が着ているかのように、服もスカートも“吊されて”いたのだ。
一気に想像が張り巡らされる。俺は線香が燃え尽きるのも待てずに階下へと降り、全ての部屋を見て回った。
そして見付けた。洗面所の床に不自然に敷かれたベニヤ板。俺はそれを取り外して見れば、そこには“幸恵”の文字が入る卒塔婆が、床下の土の上に横たわっていたのだ。
祖父の言葉が思い出される。「幸恵はこの家のどこにでもいる」と。おそらくこの家は、さちねぇの墓そのもので、それを隠す為にこの“のっぺらぼうハウス”で覆ったに違いないと、俺は確信する。
そこから先の記憶は結構おぼろげで、憤然として家に帰った俺は、相変わらず飲んだくれて寝ている親父に馬乗りになり、両手の拳が裂けるまで殴りつけている場面が断片的にあるばかり。見ていた母も、祖父も止めない。おそらくは、俺が育って親父よりも力で勝るのを今まで待ち続けていたのだと思う。だからこそ俺が多少、非行に走っても、定職に就かずぶらぶらしていても、何も文句を言われなかったのだろう。俺は今までこのクソ親父に殴りつけられて育って来た恨みを、今まさに全ての怒りで返していた。
その後俺は、ぐったりした親父を担いでさちねぇの待つ家へと行き、両手両足をガムテープでぐるぐる巻きにした後、「毎日食事だけは運んでやる」と言い残し、さちねぇの部屋に置き去りにした。
俺が去って行く間、親父は目を覚ましたのだろう、まるで断末魔のような悲鳴を上げ、俺に助けを請うていた。もちろん俺は、それを聞いて引き返すような真似はしなかった。
帰ってすぐ、過去にさちねぇの身に何が起こったのかを聞かされた。それは俺の想像した通りのもので、あのクズ親父がさちねぇに手を出し、孕ませ、それを苦にしたさちねぇがあの家で首を吊って亡くなった。そしてその遺体は洗面所の床下に埋められ、事実は隠蔽されたのだと言う。
後日、俺は生まれて初めて、“気が触れた人間”と言うものを見た。それはドラマや映画で見るようなヘラヘラと笑いを漏らすようなものではなく、ただひたすら無表情で、時折誰かと話すかのように独り言を漏らすと言う、そんな感じだった。
二日目にして俺は親父の拘束を解いたのだが、何故か親父はその家を離れる事をせず、自身で首を吊って亡くなるまでの数週間をそこで過ごしていた。
――それで、どうなったんです? と、筆者である私は聞く。
すると御年七十となる武さんは、「もう時効だと思うので、そろそろあの家、取り壊そうかと思ってるんですよ」と笑う。どうやら例の“のっぺらぼうハウス”は、今もそこにあるらしい。
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