#377 『フェンスの向こう』
近所にかなり大きな敷地を持つ、陸上自衛隊の練習場がある。
とある日、その練習場を跨いだ向こう側の友人の家へと遊びに行った。その帰り――
ザッザッザッと、道路脇に積もった枯れ葉を踏みながら、俺は練習場のフェンス沿いを歩いて帰っていた。日はとうに沈み、光源は所々で侘しい程度に設置されている街灯のみ。風は無いが、秋も深まりつつある季節である、なかなかにして寒い。
道はひたすら直線で続いている。先程から通る車は無いに等しく、とても心細い。
ふと気付くと、俺の歩幅と同調して、横を歩く者がいる。但しそれは少し離れたフェンスの向こう側。つまりは自衛隊関係の人しか入れない、練習場の内側を歩いているのだ。
警邏中の隊員だろうか。フェンスの外を歩く俺の姿が不審者に見えているのだろうか。思いながら歩いていると、次の街灯の下に出る。俺はその灯りで並走している人影を目視しようとするが、何故かフェンス向こうは異常なぐらいに濃い闇で、そいつの姿は膝から下程度しか見えない。だが、確実に誰かが歩いている。それだけは分かるのだ。
気味が悪いなと思った矢先だった。「寒いな」と、声を掛けられた。若い男の声だ。
少々迷った挙げ句、「そうだな」と返す。心なしか俺の歩く速度が少しだけ速くなっていた。
「腹が減ったな」と言われた。俺はその問いにも、「そうだな」と返した。
「なぁ、お前ん家、行っていい?」と聞かれ、俺はすかさず「いや、駄目だろう」と答える。するとその男はまた別の話に変えて、「眠いな」とか、「今日は星が見えないな」などと、益体も無い事ばかりだらだらと話す。そうして一通り意味も無い会話が続いたかと思うと、またしても、「なぁ、お前ん家、行っていいか?」と来るのだ。
そんな会話がしばらく続いた後、とうとうフェンスの終わりが見えて来た。そこそこには街の灯りが眩しい、住宅地へと戻って来れたのだ。
「なぁ、お前の家って大きいか?」聞かれて、「小さいよ」と俺は答え、そいつがまた付いて行っていいかと言い出す前に、「お前、ちゃんと自分の家に帰ろよ?」と、強い口調でそう言った。
するとそいつは少しだけ黙った後、「俺、もう帰る家ねぇんだ」と言って、フェンスの角で立ち止まる。俺は少しだけそいつに同情はしたが、もう既に“こいつは人じゃない”と言う事に気付いていたので、そのまま黙ってそこで別れた。
やがて自宅が見える辺りまで来た頃、近くのアパートの物陰から、またしても「なぁ、お前ん家、行っていいかな?」と声がした。
「付いて来るな!」と大声で言い、家へと向かう。すると今度は家の前の門の陰から、「なぁ、俺も中入れてくれねぇかな」と聞こえて来るのだ。
俺はインターホンのボタンを押し、応答してくれた母に向かって、「かあちゃん、台所から塩持って来て!」と叫ぶ。すると母も何かを察したか、玄関のドアを開けるなり、「ホラ、頭出して」と、遠慮無しに塩を全身くまなく振り掛けた。
以降、そいつがどうしたかは知らない。だがおそらく、未だ俺の家の近辺をうろついているのだろう、夜遅くに外を歩いていると、「なぁ、お前の家、行っていいか?」と聞かれる事がある。おかげで、どこに行くにも塩の入った袋は手放せなくなっている。
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