#374 『先住者の荷物・肆 家具の全てが備わった売り家』

 先住者の荷物のシリーズ最終夜。これは筆者の家の近くで聞いた、とある噂である。

 ――夫が突然、「家を買った」と、とんでもない事を言い出した。

 娘が小学校に上がり、二人目が私のお腹にいると言うタイミングである。前々から、「ここではちょっと狭いよね」と言う会話はあったのだが、まさかなんの相談も無しに家を買うとは思わなかったのだ。

 元より、突拍子もなく行動を起こす人ではあった。しかもとても頑固な上に、いつもへらへらとしながら他人を煙に巻くタイプの人である。その上、「もう契約しちゃったよ」と言うのだから、取り返しは付かない。仕方無く私は、「引っ越しの前に家を見せて」とそうお願いした。

 週末の土曜日、娘の杏璃を連れて、H市までその家を見に行った。夫はしきりに、「絶対に気に入るから」と、しつこくアピールして来る。なんでも近隣に動物公園がある、閑静な住宅地らしい。

 現地に着き、二台分ある駐車スペースに車を停め、家を見上げる。三階建てになるのだろうか、二階の更に上の方に、出窓の付いた屋根裏部屋までもが見て取れる。

「な、いいだろう?」と、夫は得意満面な顔で家の鍵を取り出す。すると少しだけ後ろで下がって見ていた娘の杏璃が、「誰かいるよ」と、私にしか聞こえないような声でそうささやいた。私はその娘の視線を追い、上を見上げる。それは先程私が見た、三階の出窓部分のようだった。

 玄関を上がり、私は驚く。いや、驚いたと言うよりもそれは恐怖に近かった。リビングにはカーペットが敷かれ、ガラス作りのテーブルに大きなテレビモニター。それはどう見ても売り家などではなく、たまたまそこに住人が留守にしているだけの、普通の住家なのである。

「ねぇ、なんでこんなに家具が揃ってるのよ」と、咎め口調で夫に聞き、キッチンに移動する。するとそこには食器棚も、冷蔵庫も、炊飯ジャーも全てが揃っている。それどころかカウンターテーブルに置かれた花瓶の花が、つい先程生けたばかりのように活き活きとしているのだ。

「いいじゃない、これ全部オマケみたいに貰えちゃうんだから」と、いつも通りに夫はへらへらと笑う。すると、いつの間に私の横に来ていたのだろう娘の杏璃が、「怒ってるよ」と、また小声で私に言うのだ。

 その言葉の意味する所は分かった。実は私自身、この家の中に入った時から、得も言われぬ“怒気”をあちこちから感じていたからだ。

「さぁ、じゃあ二階を案内するよ」と言う夫の声で、私はもう限界を感じた。私は娘の手を引き、そっと足音を忍ばせて家を出た。そしてそのまま駅方向まで徒歩で向かい、家路に着く。その間、夫からの電話とメッセージを全て無視しながら、解約する筈だったアパートメントの件で、キャンセルのお願いを送っていた。

 家に戻り、次は夫との離婚の為の準備を始めた。そうしながらも、お腹に子供がいるのに生活費をどうやって捻出するかに頭を悩ませる。すると突然、警察から夫を保護したと言う連絡が来た。どうやら住居不法侵入罪で現行犯逮捕されたと言うのだ。場所を聞けば想像通り、先程行ったばかりのあの家らしい。

 身柄引き取りには、私一人で向かった。そして今日あった出来事を警察に詳しく話すと、「それはおかしい」と、警察も頭をひねる。

「確かに誰も住んでいない家だけど、あそこは一家全員が行方不明な家だから」

 驚く私に尚も、「あれは売り家ではないし、旦那さんが鍵を預かる筈も無いんですよ」と、警察は続ける。

 そしてそのまま夫は、行方不明事件に関与しているかも知れないとの嫌疑を掛けられ、別件逮捕となった。

 結局、夫は数日後には保釈となったのだが、その家に行った前後の記憶がまるで無いと言う。

 例の家は、未だ誰も戻って来ないままそこに存在しているらしい。

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