#373 『先住者の荷物・参 狂人のドーナツ盤』
友人であるEから、引っ越しをしたのだが部屋に奇妙な荷物があるので、引き取ってくれないかと言う連絡を受けた。
「どうして俺が?」と言う問いに、「その荷物ってのが、大量のレコードなんだよ」とEは答える。そうしてすぐに疑問は氷解した。なにしろ俺自身が無類のジャズレコードマニアだからだ。
行けば確かに、段ボールで約五箱分ほどのレコードがある。なんでもクローゼットを開けたらこれが出て来たと言うのだ。
見ればほとんどが持っているレコードだったのだが、いくつかとても高価で希少価値の高いものがあり、俺は喜んでそれを引き取った。だが――
家でそれを聞いてみると、どうにもおかしい。どうやら中身がジャケットと食い違っているらしい、聞こえて来るのは「あぁ~、あぁ~」と、まるで狂人のあげる雄叫びのような声ばかり。それでも辛抱強く聞き続けていると、次第にその全容が理解出来て来る。
どうやらそれは個人で録音したレコードのようで、しかもその声と言うのは、若い女性が発しているのであろう、「歌」だったのだ。但しその女性と言うのが、耳の聞こえない人か、もしくは精神疾患のある人か、とにかく言語も音程もままならない人の歌である為、雄叫びにしか聞こえないのである。
時折、遠くから男性の声が聞こえる時がある。もしかするとその女性の父か夫なのだろう、声は不鮮明だが何やら指示する声が録音されている。そしてその女性が歌い終わり、なにやら雑談のようなものとなり、やがてまた雄叫びのような声になる。だがそれは先程の「歌」とはまるで質が違っていて、想像しなくても分かる男女の営みであるあえぎ声そのものなのだ。
俺はそこまで聞いてゾッとした。確実にこれを作成した人間こそが狂人そのものだと。
俺はすぐにEに連絡を取り、不動産会社に電話して全て引き取ってもらえと話した。だがEはそれを頑なに拒み、「お前なら分かってくれると思っていたのに」と、落胆した声で言う。
結局、レコードは全てまたEが引き取り、持ち帰った。だがその晩から、俺の家の中で怪異が起こり始めたのだ。
まず、声が聞こえる。例の聾唖らしき女性の声がどこか遠くから聞こえ始め、家の中をうろつくのである。
そして俺が就寝してからがとても酷く、ダンスでも踏んでいるかのような足音に、例の音程が外れた歌声が聞こえ始める。とてもじゃないが、寝ていられるものではない。
翌日、Eのアパートを訪ねると、彼は不在だった。俺は仕方無くそこのアパートの管理会社を調べて、Eの借りた部屋の事を聞く。すると、そこの不動産会社の人もまた、とても困った口調でこう言うのだ。
「Eさんの部屋の騒音の問題で、ウチもとても迷惑しているのです」と。
どうやらEがその部屋へと越したのは既に二ヶ月も前の事で、入って一週間目ぐらいからその騒音が始まったらしい。
「なんだかとても音程が外れた声で、“何か”を歌っているみたいなんですよね」
俺はその近所の店で時間を潰し、夜になってからまたEの家を再訪問した。するとアパートに近付くにつれ、聞こえて来る。おそらくはEのあげる調子っぱずれの歌声。それは先日、俺が聞いたあのレコードの歌と酷似していた。
だがもう、Eの家にはそのレコードは無かった。Eは自分自身で何をしているのかも分かってない様子で、俺の顔を見ながらげらげらと笑い、歌い続けていた。
結局Eは、田舎の両親が面倒を見る事となり、実家へと帰って行ってしまった。
それから一週間ほど経つ。ある晩、俺の家の前にパトカーが停まった。
「近隣からの騒音被害が入っているのですが、家の中をあらためさせてはいただけないでしょうか?」と、警察官が訪ねて来た。
だがその時の俺は、彼らが何を言っているのかがさっぱり分からなかったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます