#367 『どろりとしたもの』

 我が家には、訳の分からない“何か”が棲み着いている。

 それは黒くて、どろりとしていて、形状が定まっていない。要するに真っ黒なアメーバのようなものだ。そいつが時折、どこからか出て来て姿を見せるのである。

 しかもそいつはどうやら生き物らしく、自ら考えて動き回る。更に言うと、少々動きは早い。

 大体は、天井近くの梁の上を伝っていたり、天井にへばりついて移動をしていて、なかなか下には降りて来ない。

 我が家の築年数は相当に古く、大正の頃に建てられたものだと聞くが、祖母に言わせると「あれは私が子供の頃からおったわ」との事。但し、その正体だけは何も分からないままであった。

「この家を守ってくれている、神様かなんかじゃないのか?」と、父が呑気な事を言ったりするが、どうにもそれは怪しい。たまに天井から剥がれて、べちゃっと床に落ちたりする所を見ると、なかなか頼りない感じがするのだ。

 ある日の事、親戚の叔母が室内犬を連れて来た事があった。そしてその犬はどうやら例の“どろりとしたもの”を察知したらしく、天井に向かって吠え続けていた。

 以降、犬が帰った後の一週間ほどは全く姿を見せず、ようやく出て来たかと思えば小さく丸くなって、ころころと転げているのである。

 またある日は、道路を挟んだ向こう側の家から火の手が上がり、消防車が大挙して来た事があった。その時などは、弟が裏庭を指差して、「見て、逃げてる!」と教えてくれた。幸い、我が家も向かいの家も大事には至らなかったのだが、「逃げるって所を見ると、こりゃあいよいよ神様じゃねぇな」と言う意見で落ち着きそうになった。もちろんその“どろりとしたもの”は、後日こそこそと家に帰って来ているのである。

 だが、とうとうそいつは神様らしき所を見せてくれた。

 かの有名な東日本大震災。その瞬間、私は学校にいた。

 当然、学校は臨時の休校となって家へと帰される。そうして家の玄関を開けると、例の“どろりとしたもの”は一体何があったのかは知らないが、祖母の持つチリトリの中でふるふると震えていたのである。

 祖母の話によると、突然そいつが壁の隙間から這い出て来て、まるで黒い大蛇かと見間違うほどに巨大化したと言うのである。

 そうしてぞろぞろと天井を這って壁の隙間から外へ出て、屋根へと登る。そしてその屋根全体を覆うほどに広がったかと思えば、そのまま半透明のビニールのようになり、家を包み込んだそうなのである。

 それから間もなく、震災がやって来た。近所ではブロック塀が倒れるなどの被害が相次いでいたが、我が家は家具が倒れる程度の被害で済んだ。

 それ以来、我が家ではそいつの事を、暫定的にも「神様」と呼ぶようになった。

 だがその神様は相変わらずで、時折、人のいない部屋の中で、「べちゃっ」と音を立てて天井から剥がれ落ちていたりするのである。

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