#365 『海の家でのアルバイト』

 遊べる上に金が儲かると聞いて、友人二人と真夏の海の家でのアルバイトを決めた。

 どうせやる事なんかウエイターよろしく料理を運ぶ程度だろうと思っていたのだが、実際はとんでもなく仕事量が多かった。朝は砂だらけになった座敷の掃除から始まり、シャワーの点検に、ゴミ出し、商品の品出しと、遊んでいる暇どころか暑さでぼーっとしている時間すら無かった。

 海の家自体は午後五時で閉店なのだが、酒に酔った客がなかなか帰らず、下手をすると七時、八時を過ぎる事などざらであった。

 こりゃあブタ仕事だったなとは思ったのだが、それでも役得はあるもので、夜の浜辺をぶらつく女の子と知り合う可能性も無くはなかったのだ。

 だが彼女が出来たのは友人二人の方で、何故か俺だけあぶれもの状態。宿泊所でも寝泊まりするのは俺一人。さびしい夏だなぁと思いながらもバイトに励みつつ過ごしていると、一人で遊びに来ているのか、とある中年の女性と知り合いになった。

 ワンピースに、鍔の大きな帽子をかぶり、いつも一人でぶらりと海の家へと遊びに来るのである。名前は“トウコさん”と言うらしく、「冬の子だから、夏は苦手なの」と笑うのだ。

 どうやらトウコさん自身も俺の事を気に入ってくれたらしく、仕事終わりに何度か逢う内に、彼女の別荘へと呼ばれて、いつしかそう言う仲になっていた。

 トウコさんはいつも俺を迎えに来てくれた。実際、彼女の案内がなければ辿り着けないほどに入り組んだ路地の奥に、彼女の別荘があったのだ。

 トウコさんとの逢瀬は仕事終わりからその翌朝まで。毎朝、寝不足のままふらふらと明け方の海岸線を歩き、仕事場である海の家へと向かう毎日。いくら若いとは言え必ず疲労は来るもので、仕事中に立ったまま居眠りしてみたり、注文間違いする事が次第に多くなって来ていた。


「ここに来るバイト連中は大抵そうなるもんだけどよ、そんでも仕事はちゃんとやらんと駄目だぞ」と、オーナーに怒られる事もそんなに少なくはなかった。

 ある日の事、いつもように海の家までぶらりと遊びに来たトウコさんと話をした後、仕事へと戻れば、「今、誰としゃべってたの?」と、オーナーの娘である高校生のジュンちゃんからそう聞かれたのだ。

「彼女」と、ぼそり白状すると、「ふぅん」とジュンちゃんは頷く。話はそれで終わりかと思ったのだが、その日の夕方、「これ持ってき」と、栄養ドリンクを一本渡されたのだ。

「なにこれ」と聞けば、「それ飲んで頑張れ」と、彼女は素っ気なく言う。俺は「ありがとう」とそれを受け取り、その晩の内にそれを飲み干した。まさに、トウコさんとベッドへと入る直前の事だった。

 何故か俺は物凄く不快になり、「今日は帰る」とトウコさんの家を出た。帰り道、ずっと道端に胃液を吐き続け、気が付けば宿泊所の布団の上。俺は泥のように眠り、翌朝を迎えた。

 以降、トウコさんは海の家に現れなくなった。俺は自力でトウコさんの家を目指したが、一度も辿り着く事は叶わなかった。

 バイトも終盤となった頃、「あの時もらった栄養剤ってなんなの?」とジュンちゃんに聞けば、「虫下し」と、これまた素っ気なく言うのだ。

「ホラ、あんたの彼女、今日も来てるよ」とジュンちゃんに言われて座敷を見るが、それらしき姿はどこにも無い。

「どこにいるんだよ」と聞けば、「もう見えないだろ」と、彼女は馬鹿にしたように笑う。

 彼女に言わせれば、海の家でアルバイトをする青年には、良くある出来事なのだそうだ。

 言われてみればもう僕は、“トウコさん”と言う名前以外、何も思い出せなくなっていた。

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