#360 『浮遊柩』
僕が小学校の頃の事だ。当時、僕は二つ年上の兄と一緒の部屋だった。
部屋は狭かったので、僕達は二段ベッドで寝ていた。中学生になる兄は「上り下りが面倒」と言う理由で、僕に上のベッドを使わせていた。
ある晩の事だった。寝ていると、どこからか隙間風でも入り込んでいるのか、小さくひゅうひゅうと風の通り抜ける音が聞こえた。
目を開け、確認しようとすると、僕が寝ている高さとほぼ同じ位置に、“何か”が浮いていた。
「なんだこりゃ?」と目を凝らす。そうしてそれが“棺”である事に気付くのは相当時間が経ってからの事だった。
「あにぃ! あにぃ!」と、僕はベッドから顔だけ出して兄を呼ぶ。ようやく起きた兄に、「棺が浮いてる!」と教えると、兄はそれを一瞥し、「棺だって浮こうと思えば浮くだろう」と、また寝てしまった。
なんだそりゃと思いながらも、兄が全く取り乱していない事が安心出来たのだろう、僕もまた兄を見習って眠った。翌朝、同じ場所を確認したが。棺はいつの間にか消えていた。
それから時々、同じ事が起きた。それが起きる時は必ず、どこからかひゅうひゅうと風の音が聞こえ、それで目が覚めるのである。
ある晩、またしても風の音で目を覚ます。するといつもの位置に棺が無い。だが、しっかりと風の音だけは聞こえるのである。
どうしたものかと兄の方を見れば、驚いた事に棺は部屋の床の上にあった。しかも棺の蓋は開いていて、その棺の横に立てかかっているのだ。
「あにぃ!」と叫ぶが、ベッドの下に兄の姿が無い。そこでようやく、僕は恐怖を感じた。今までは兄が傍にいたからこそ怖くなかったものが、一人きりで、しかもいつもと違う状況下で怪異に遭遇しているのだ。怖くない筈がなかった。
「あにぃー!」と、また叫ぶ。ばかやろう、どこ行きやがったんだよと泣きそうになりながら悪態を吐いていると、「……ここ」と、どこからか声がする。見ればいつも棺が浮いている辺りに兄の姿があった。しかもまるで棺の中に寝ているかのように腕を胸の辺りで組み、顔だけこちらに向けて僕を見ているのである。
突然、下から浮き上がって来た棺に兄の身体がすっぽりと入り込み、蓋が閉まると同時にそのまま棺ごと天井の方へと吸い込まれて消えてしまった。僕は大騒ぎをして両親の元へと飛んで行けば、父は少々困った顔をして、「ちょっと待ってろ」と物置から梯子を持って来た。
そうして上がって行った天井裏に、棺はあった。それを見て、父を除く家族の誰もが驚いた。なんでも棺は前からそこに置かれてあったらしく、その詳細は不明だと言う。だが、位置的にそれは僕と兄のいる部屋の真上であった。
兄は――その中にはいなかった。代わりに、部屋の床の上で眠っていたのだ。
僕が先程の話をすると、兄もまたその時の事を覚えていて、「何だったんだろうな、あれ」と、さすがに怖い思いをしたと話す。
母が気味悪がって、「捨ててください」と訴えるのだが、父は首を振って、「この棺だけは粗末に扱ってはならんと言われて育った」と言うのだ。
結局、棺の位置を無難な物置の真上に移動し、その件は終了した。
真夜中に物置へと行く用事は無いのでどうなのかは知らないが、もしかしたら今後は物置で例の棺が浮遊しているのかも知れない。
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