#354 『繰り返す者』
確かにその日は朝から違和感があった。
家の玄関にて靴を履き、さぁ仕事に行くぞとドアノブに手を掛けようとして、止まる。何故かドアノブが左手側にあるのだ。
あれ――おかしい、と僕は思った。ドアノブはいつも右側にあった筈。なにしろこうして身体が覚えているぐらいの違和感なのだ。「絶対に右だった」とは言い切る事が出来ないのだが、左手側である事の不便さが全てを物語っているような気がした。
だが、寝ている間にドアノブの位置が変わってしまったと言う無茶な理屈も考えにくい。とりあえず僕の目下の問題は、そんな事で迷っている間に電車に乗り遅れると言う方が大きかったのだ。
ドアを開ける。外に出る。――そしてそこは我が家の玄関だった。
要するに、玄関からドアを開けて、玄関に出てしまったのだ。何事だよと思いながら振り返り、ドアを開ける。するとそこはいつも通りのマンションの廊下部分。僕は慌てて外に飛び出て、鍵を閉めた。
会社に着くと、別の騒動が待っていた。その日は僕が当番の部署間報告会議だったのだ。
僕は慌てて資料を印刷しに掛かる。そしてまだ印刷機が回っている間に始業のベルが鳴ってしまった。
「随分と余裕じゃないか」と、既に全員が居並ぶ会議室の中、営業部長が僕を睨み付けてそう言った。僕は皆に資料を回しながら報告に入ったのだが、肝心な収支報告の書類を印刷し忘れ、「取りに行って来い!」と怒鳴られる。
「申し訳ありません」と頭を下げ、会議室のドアの前に立つ。――違和感。ドアノブが左手側にあるのだ。
いやいや、ここのドアは最初から左手側だっただろうと自分に言い聞かせ、ドアを開ける。するとそこは全員が居並ぶ会議室で、営業部長が僕を睨み付け、「随分と余裕じゃないか」と皮肉を言うのだ。
午後は無理を言って早退し、病院へと向かった。
名前を呼ばれ、診察室へと入る。今日あった全ての出来事を話し、診断を待つ。だが結果は、「当分観察しましょう」と言われるだけ。
意味が無かったなぁと思いながら診察室を出ようとして、手が止まる。
ドアノブが左手側にあったのである。
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