#353 『深夜勤務』
親父が樹脂成形加工の工場を経営している。
高校卒業後、適当にフリーター生活をしていた俺だが、「朝までゲームしている根性あるなら、朝まで仕事も出来る筈」と無茶な理屈で、親父の工場の夜勤を任されるようになった。
労働時間は十四時間。夜の八時から始まって、翌日の十時に終わる。親父とは前後で一時間だけの引き継ぎをした後、昼の分からぶっ通しで翌朝まで機械を回すのだ。
とは言っても、さほど苦になる仕事でも無い。機械がサボっていないかを見張り、後は適当に軽作業をしてみたり、持ち込んだゲームやパソコンで朝を待つだけだ。孤独ではあるが、居酒屋のアルバイトで店内を駆けずり回るような仕事とは違い、実にのんきで楽な仕事なのである。
ただ面倒なのは夜でもやって来る得意先や外注の来訪で、おそらくは残業後の外回りか何かなのだろう、ぐったりと疲れた顔でやって来たかと思うと、深い溜め息を吐き出して帰って行くのだ。
その日の夜も、二件の来客があった。いずれも納品を待てずに引き取りに来た得意先だった。
夜は休もうぜ日本人。などと文句を言いながら昼食を取ろうと休憩室へと向かった時だ。またしてもドンドンドンと、入り口のドアが叩かれる。見れば時刻は深夜の一時半。困った客ばかりだなと思いながらドアを開ければ、何故かそこには誰もいない。
悪戯かよと愚痴りながらドアを施錠し、休憩室へと戻る。すると何故か、その休憩室のドアが半開きになっているのだ。
これはおかしいと咄嗟に思った。生来俺は、ドアを開けっぱなしで移動する事が出来ない性格なのだ。こうやって半開きにしながら部屋を空ける訳がないと部屋を覗けば、何故か部屋の中は電気が消えて真っ暗だった。
――誰かがいると、瞬時に察した。テーブルの上に置きっぱなしにしていたスマホの灯りが、その周囲を微かに照らしている。その中に、うごめく“何か”の姿を見たような気がした。
「あぁ、もう無理だ……」と、部屋の中から男の声がした。俺は慌ててそのドアを閉め、つっかい棒よろしくドアの前に材料袋を山積みし、出られないようにした。
急いで電話の前まで飛んで行き、自宅に掛ける。しばらくのコールがあって親父が電話に出た。
「工場の中に不審者がいる」そう告げると、「すぐに行くからいつでも逃げられる準備しておけ」と言われた。
自宅から工場までは車で十分程度。すぐに来てくれると信じて、入り口のドアの前で待機した。そうして五分も待っただろうか、突然、先程と同じく入り口のドアがけたたましく、ドンドンドンと叩かれる。
早くも親父が到着したのかと思ったのだが、そうではない。次にドアが叩かれたのは、入り口のドアと、休憩室のドア、同時だった。
両方のドアノブがガチャガチャ言い出す。休憩室のドアの前に置かれた材料袋が、押されて崩れ始める。そして入り口のドアが「カチャン」と解錠された音を聞き、俺は猛ダッシュでトイレの中へと逃げ込んだ。
内側からドアを閉め、便器に座り込んで念仏を唱える。確かに“何者か”が、トイレのドアの前まで来たであろう気配があった。
パチンと音がしてトイレの照明が消えた。そこの照明のスイッチは外側にあるのだ。
そして少ししてまたパチンと音がして照明が点く。再びパチンと暗闇。そしてまた点く。誰かがトイレの外でそんな悪戯をしているのは分かるのだが、一体それはなんの真似だろうと思っていた矢先だった。パチンと暗くなり、再び明るくなったその瞬間、俺の目の前で天井からぶら下がる作業着姿の男性の姿があった。
狭いトイレの中なのだ。手を伸ばせばすぐにでも触れられる距離だ。俺は想像を絶した恐怖で悲鳴を上げた。それと同時にドアの向こうから、俺の名を呼ぶ親父の声が聞こえて来た。
後で知った事だが、その工場は事故物件として扱われていた時期があったと言う。但し、当時はそれを告知する義務が緩かったらしく、借主を一つまたいだので、ウチの親父が借りる時にはそれを教えなかったらしい。
工場は今も経営されている。但し、夜勤だけはもう行わない予定なのだと言う。
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