#345 『水の知らせ』
とある女性から、こんな話を聞いた――
やけに蒸し暑い午後の事だった。ふいの電話に出てみると、それは外出中の弟で、今夜は少し遅くなると言う内容のものだった。
それはいいのだが、何故かその向こう側からは激しい雨の音が聞こえていて、私は思わず「そっちは雨が降ってるの?」と聞いたのだ。
弟は、「いや、何も」と返事をする。だが受話器から漏れ出る音には、地を打つ豪雨の音が絶えず聞こえて来ている。
電話を切って数時間後、雨がやって来た。友人達と河原で遊んでいた弟は、突然に増水した河川の氾濫によって流され、見るも無惨な遺体となって帰って来たのだった。
それから数年後、夏の夕暮れ時の事。自転車で買い物に出掛けた母から、米を炊いておいてくれと言う電話が掛かって来た。私はすぐに「分かった」と返事をしたのだが、母は一体どこにいるのだろう、やけにその背後から聞こえる雨の音がうるさい。
電話を切って階下へと降りる。そこでふと気が付く。外に雨など降ってはいない。
私は馬鹿だと今更ながらに気が付いた。これでは弟の時と一緒だ。どうにかして母に危険を知らせなきゃと思うのだが、携帯電話など普及していない時分の事である、連絡など取りようが無い。
やがて、雨が降って来た。しかもその通り雨はやけに雨量が激しく、屋根から伝う雨樋がごぼごぼと音をさせるぐらいの激しさだった。
私にはただ祈るしかなかった。だが私の思いとは裏腹に、母は雨が上がって少しした頃、何事もなかったかのようにして帰って来たのだ。
「家までもうすぐだったから、頑張って帰って来ようと思ったんだけどね」と、母。だがちょうど降り始めの辺りで、良く行く喫茶店の前を通り掛かり、そこで時間を潰したのだと言う。
「良かった、心配してたんだよ」と――、それが娘の最後の言葉でしたと、女性は語ってくれた。
娘さんは、突発的な心筋梗塞で亡くなったらしい。
お風呂に行くと言って入ったっきりなかなか出て来ないと思い、様子を見に行くと、娘さんはその浴室で倒れて亡くなっていたと言う。
「シャワーを浴びている最中だったようです」と、女性は語る。
聞こえていたのは、雨の音ではなかったのかも知れない。
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