#344 『この人探しています』
駅から会社までの通勤路に、やけに薄暗い妙な裏路地がある。
左手は柵に囲まれた小川で、右手は背の高いコンクリート塀が続く。十数階建ての分譲マンションの影となり、早朝でも陽が射さない場所なのだ。
その路地を進むと、とある地点で一カ所だけ塀が内側にへこんでおり、小さな自動販売機が設けられている。赤いカラーリングの、大手メーカーの自販機だ。但し場所的に大きなものは置けないらしく、細長い機械に入っている選べる飲料水の銘柄は、五、六種程度である。
私は毎朝、その路地を通る。するとその自販機の前には必ず、いつもと同じ女性が立っている。薄手のワンピースを一枚羽織った程度の服装で、中腰になりながらいつも上目使いにその自販機を睨んでいるのだ。
ある朝、その路地を歩いていると、いつもはただ立ちすくんでいるだけの女性がふいにこちらへと振り返り、「何が見えますか?」と、自販機を指さして私に問う。
私は見たままに答えた。「自動販売機ですね」と。するとその女性は手に持った携帯電話でその自販機を写真に撮り、私に見せるのである。
“この人探しています”と言う文字と、下手くそな人の顔が描かれているそんな張り紙。
何故か私が見えている自販機は写真に写らず、代わりにコンクリート塀に張られた、迷い人のお知らせの張り紙がそこに写るのである。
「これ、見えませんか?」と、再びその女性に問い掛けられた所で目が覚める。気が付けば真夜中の、自分の家の布団の中だった。
――妙な夢を見たなと、溜め息を吐く。確かに会社へと向かい道筋にその夢の中に出て来た路地は実在しているのだが、それ以外は全てデタラメだった。塀沿いに自動販売機は無いし、そこに女性が立っていた試しも無い。それどころかその路地を毎日通ると言う習慣も無く、よほど気が向いた時だけ歩く程度なのだ。
翌朝、電車を降りて徒歩十五分程度の道のりを歩く。ふと、夢に出て来た路地の前へと差し掛かる。
通ってみようかと思ったのは、単なる気まぐれだ。だが私はすぐに後悔する。夢に出て来た例の場所辺りに、中腰で立ちすくむ軽装の女性が立っているのが見えたのだ。
通り掛かり、その女性は私に気付いてこちらへと振り向く。
「何が見えますか?」と、“何も無い壁”を指さして聞く。私は首を傾げて、「いやぁ、何も」と答えると、「そうですよね……」とだけ女性は言い、再び塀の方へと向き直るのだ。
それ以降、その路地を通る事は全く無くなった。もちろん例の女性が誰なのかは、知る由も無い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます