#341 『あんたの事だよ』
ある時期から私は、ほぼ毎日のように同じ夢を見るようになった。
その夢とは、どこか見知らぬ廃墟となった温泉旅館に泊まると言うもの。
私一人でその廃旅館へと出向き、誰もいない荒れ果てた部屋でくつろぎ、そしてかつては大浴場であっただろう場所にて、湯の張ってない浴槽で裸体となって横たわる。
その大浴場の向かいの壁は崩れ落ち、外は丸見え。乱雑に生い茂る木々や背の高い草が光りを遮り、その場所自体とても暗い。左手側にはこれまた崩れ落ちた壁があり、その向こうのスペースはボイラー室となっている様子だ。
果たして私は過去にそんな場所へと行った事があったのかと記憶を辿るが、どうにも思い出せない。そんな不可解な夢を、とても頻繁に見るようになってしまったのだ。
ある時、仕事で二泊三日の出張を命じられた。場所は中部地方の某所。私はその周辺にどこか宿は無いかと尋ねると、現場から一番近い所を紹介してもらった。
当日、宿へと辿り着いて驚いた。その外観は例の夢に出て来る旅館そのものだったのだ。
玄関では宿の女将らしき方が私を出迎えてくれたのだが、女将は私の顔を見て目を見開く。驚いているのは私の方なのだが、女将もまた私を見て驚いているのだ。
通された部屋もまた夢に出て来る部屋そのもので、廃屋同然に荒れ果てていないだけの違いしか無かった。
宿そのものはとても感じの良いものだった。食事もなかなかのもので、独り身の私としては少々贅沢に感じられる程である。私はビールを一本所望した後、その宿の自慢であると言う大浴場へと向かった。
やはりそこも夢に出て来る場所そのもので、ここがいつか廃墟となったならば、夢の通りに荒れ果ててしまうのだろうかと想像した。
結局、何事も無く二日が過ぎた。泊まっている間は例の夢を見る事も無く、とても気持ち良く過ごす事が出来た。ただ、帰り際に宿の主人が私に何かを言いたそうにしていた事だけが心残りだった。
夢は、何故かもう見なくなった。あれほど頻繁に見ていた夢だけに、少々寂しい気さえした。
それから約、十五年程の歳月が流れた。時代は変わり、インターネットが生活の場を席巻し、ウェブ上でどんな情報も拾える事が当たり前となった頃。ふとした事がきっかけで、昔良く見ていた例の廃旅館の夢の事を思い出す。
そう言えばその実在した旅館は今も健在なのだろうかと検索を掛けてみると、なんとも惜しい事に廃業していたのだ。それどころか拾える情報では、「幽霊の出る呪われた宿」とか書かれた上に、心霊スポットマニアにとっての格好の舞台となっているらしく、その宿の中を撮り歩いた写真などまで掲載されているのだ。
私はその中の一枚に目を留め、戦慄した。それはあの大浴場を撮った一枚。壁は崩れ外が見え、左手側の壁からは隣のボイラー室までもが見て取れた。
まざまざと過去に見た夢が蘇る。その光景はまさに私が見ていた夢そのもので、過去の夢が現実に追い付いた感があった。
その晩、とても久し振りに例の夢を見た。昔の通りに荒れ果てた部屋の中でくつろぎ、長い廊下を歩いて大浴場へと向かう。――違うのはそこからだった。
夢に男が出て来た。男は私の顔を見て、「あんたの事だよ」とそう告げて、夢は終わった。
その男性はかつてあの旅館を切り盛りしていた宿の主人だったような気がしてならない。
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