#338 『のっぺっぽう』
叔母は三代続く茶道の家元である。
最近になって私もそこの茶道教室に通う事になったのだが、一度そこで怖い体験をした事がある。
家が近くと言う事もあり、少々早く辿り着けば、教室にはまだ叔母一人しかいなかった。
大きなお屋敷である。瓦屋根の造りで、中にはいくつもの茶室。元は母もそこで生まれ育ったと言う生家でもあるのだが、近年は叔母が教室をひらく時にだけ人が出入りする程度になっていた。
やがて生徒さん達が集まり始めた。そうして全員が集まった所で私が履き物を揃えに行くのだが、見ればどうにも草履の数が合わない。何故か一人分、多いのだ。
先に叔母が手本を見せる。そして全員がそれに倣ってお茶を淹れるのだが、何故かどの人もお茶の数を間違えて一つ多く淹れてしまう。
妙な事もあるものだと思っていると、開けた襖の奥の障子に、廊下を通り過ぎる人の影を見てしまった。私は咄嗟に叔母の袖を引き、「あれ」と目配せをしたのだが、何故か叔母は私の耳元に、「ありったけの塩を煎って来なさい」と言うのだ。
意味も分からず台所へと向かい、フライパンで塩を焼いていると、ふと背後に誰かが立った気がした。振り向けばそこには異常なぐらいに顔の長い、襦袢姿の女がいた。
完全に“人ではない”と確信した。なにしろ襟元から出る首は直角に前を向き、そしてその顔はと言うと顎は床に付きそうな程に長く、そして額もまた天井に届きそうなぐらいに長いのだ。その上、真っ白に塗られたその顔にはあるべきものが何一つとして無く、ただただつるりとしているばかりの長細い顔のようなものがあるだけ。私は悲鳴を上げる暇もなく、問答無用で焼き途中の塩をその女の顔面に浴びせ掛けた。
すると女は一瞬で小さくなって液状化したかのような軟質となり、素早い動きでどこかへと消えて行ってしまった。まだ家にいるだろうと思った私は、引き続き塩を焼き、ボウルの中に貯めて行った。
生徒が三々五々と帰る中、思った通りに草履が一人分余った。叔母と私は顔を見合わせ、家中をくまなく歩いて回る。すると、いた。奥の座敷の天井にへばりつく、粘着質なアメーバ状のものを見付け、私はそれに向かってまた塩を振る。
べちょりと音をさせ、それは落ちて来た。叔母はさらにその上に塩をまぶし、後は箒とちりとりで庭へと捨てた。
そいつはふるふると震えながらどこかへと去って行ったのだが、「殺さなくていいの?」と私が聞けば、「どうせ死なないから無駄だよ」と叔母は言う。
この地方で、それは“のっぺっぽう”と呼ぶらしい。昔はああ言うのが沢山いたよと、叔母は笑う。私はそれを聞き、冗談じゃ無いと思った。
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