#336 『影絵』
夕刻、祖父の部屋へと訪ねると、いつも不思議な光景を見る事が出来た。
祖父の部屋は西側に位置しているせいで、陽が入るのはいつも夕暮れ近くになってからであった。
窓には障子が嵌められており、その桟の模様は月と雲をあしらった飾り障子と言うものらしく、とても風情のあるものだった。
そしてその部屋でしか見られない不思議な光景とは、まさにその障子に映る影そのもので、一体どこで誰が立ち話をしているのか、障子にはいつも誰かと会話をしているのであろう女性の横顔が映し出されているのだ。
髪を結い上げ、口に手をあてがいながら話すその女性の仕草は、子供心にとても美しい人を連想させ、私はほとんど毎日のようにその部屋へと通い詰めていた。
当然、その人影は祖父も見ていた筈なのだが、いつもその事には触れもせず黙って煙管を吹かしているばかり。普段は全く交流の無い祖父だったのだが、その夕刻のひとときだけは祖父と過ごす貴重な時間であった。
やがて私が中学へと入学し、部活だのなんだのと忙しくなるにつれ、祖父の部屋へと行く回数は減り、高校へと進学する頃には立ち寄る事すら無くなっていた。
ある日、祖父が病で倒れ、それから僅か一ヶ月足らずで亡くなった。
特にあらためて部屋を片付ける必要性も無かったのだが、とりあえず布団や衣類は処分してしまおうと言う事になり、私もそれを手伝った。
夕刻、ふと幼い頃の記憶が蘇り、顔を上げた瞬間だった。昔見た通りに、飾り障子に髪を結い上げた女性の横顔が映し出される。
同時にその影がフルカラーのように色付いて、はにかみながらくすぐったそうに笑う、若い女性の顔となる。
私はそれを見て察するものがあった。それは私が生まれる前に亡くなったと聞く、祖母のものだと言う事を。
そしてそれはきっと、祖父も気が付いていたに違いない。だからこそいつも黙ってその横顔を眺めていたのだろうと理解した。
後に、家の裏手へと回って祖父の部屋の窓から見えるであろう景色をぐるりと見回したが、窓に映る人影どころか人の立てる場所すらも無く、夕刻の陽の光は、松林の間を通り抜けて窓を射しているだけであった。
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