#332 『猫がいない』
仕事でとんでもないミスをしでかした。
想像していた以上の怒られ方をし、結局全ての責任を負わされ、減給対象とまで言われた。
帰り道、真っ直ぐ帰りたくなくてコンビニで強い酒を何本か購入し、夜の公園で一人飲んだ。
酒が落ち込みを増し、ろくでもない考えばかりが思考を支配する。
死んでしまおうか――と、何度も思った。ネクタイを外し、あの木の幹にぶら下がれば簡単に全てが終わる気がした。
だが――と、自制が働く。思い残す事はあった。家に帰れば飼っている一匹の雌猫がいる。あの子を残して独り逝く訳には行かない。
僕は重い足を引きずるようにして家路を辿る。途中、“死にたい”と言う気持ちはいつの間にか、“あの子さえいなければもっと簡単に死ねたのに”と言う想いに変わっていた。
そうして家のドアを開けると、いつもは玄関先で眠っていて、目をしばたたかせながら僕の帰りを待っている筈の猫がいない。
名前を呼んでも出て来ない。おかしいなと思って家中を探すがどこにもいない。
窓は閉まっているし、どこにも出て行けるような穴は無い。要するに、この家の中から忽然と姿を消してしまったのである。
僕は自分を責めた。あの子さえいなければと言う想いが、あの子を消してしまったのだと思った。
それからの僕は、もはやもぬけの殻のような生活だった。会社で怒鳴られ、家に帰れば猫のご飯の皿を見て涙をこぼす生活。もう既にあの夜に感じた絶望と死にたい欲求はどこにも無く、ただひたすら猫に謝りたい気持ちで一杯だった。
僕は全てをリセットする事にした。まずは猫のご飯の皿と、トイレを片付け、両方ともゴミに出した。そしてその足で会社へと向かい、辞表を出した。僕を叱咤した上司は何度も僕を引き留めたが、頑なにそれを固辞して家へと帰った。
玄関を開け、照明のスイッチを付ける。すると今までどこにいたのか、明るさに目をしばたたかせ、僕を見上げる猫がいた。
今はもう、猫エサの皿も、トイレも、そして仕事も新しいものに変わっている。
僕はお詫びの印にちょっと高級な猫缶を開けながら、あの空白の数日間一体どこに行っていたのかと猫に聞くが、どうにも答えてくれそうには無かった。
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