#313 『未来人間』
仕事の転勤に伴って、引っ越しをする事となった。
社宅と言う名目で借りたその家は、可も無く不可も無く、最寄り駅まで歩いて十五分と言うそんな場所にあった。
その周辺は碁盤目状に区画整理されており、駅まで行くのに幾本ものルートが存在していたのだが、比較的良く通る道に、両側数軒が店舗の廃屋と言う場所があるのだ。
その晩も、そのルートを歩いていた。転勤した先の上司と飲みに行った帰りだったので、相当足下が心許ない。
ふと気付くと、向こう側に見慣れないバーがある。あれ、ここって廃屋だった場所なんじゃないかなぁと思いつつ、窓越しに店を覗けば、カウンターの向こうで暇そうにしている若いマスターが一人いるだけ。
なんとなく「面白そうだな」と思い、勢いで中へと入って行ってしまった。
「いらっしゃい」と出迎えてくれたマスターは、三十代ほどの見目良い男性。店の雰囲気に合わせているのか、七三に分けたレトロチックな髪型である。
店内は、狭いながらも落ち着いた雰囲気の良い空間だった。ボックス席は無く、カウンターに僅か六、七人が座れる程度。薄暗い照明が店内を更に上品に見せている。
「こんな店、あったんだね」と私が言うと、「それなりに長い歴史があるんですよ」と、マスターは言う。どうやら店は彼が祖父から譲り受けたものらしく、「二代目なんです」と、彼は笑う。
「いや、でも、めちゃめちゃ良い感じの店じゃない」と私が言うと、「面白い表現ですね」とまた笑う。どうやら彼はかなりの話上手らしく、面白がって私に色んな話を聞いて来た。
気が付けばいつの間にか深夜の一時を過ぎている。私はスマートフォンで時間を確認し、「そろそろ帰らないと」と言うと、そのマスターは私のスマホをしげしげと眺めながら、「何ですかそれ」と聞くのだ。
「え、ただのスマホだけど」と答えるも、まるで通じてないかのように首を傾げるだけ。しかも会計の際には、取り出した札を見て目を丸くしている。
帰り際、「また来てください」の言葉に、「あぁ、必ず来るよ」と返したのだが、結局それは叶わなかった。翌日にそこを通るとやはり店は廃屋そのもので、長い間放置されっぱなしだったのだろう程に、老朽化していた。
休みの日、たまたまその店の前を通り掛かった。すると近所の人だろう老婦人がその店の前を箒で掃いているので、思わず声を掛けてしまった。「ここの店って、いつ閉店したのですか?」と。
すると、店を閉めたのは僅か二年ほど前だと言う。年老いたオーナーが一人で切り盛りしていた店で、寄る年波には勝てず、とうとう引退したのだと言う。
「だって二代目がいたでしょう?」と聞けば、そのオーナーが二代目だったと言うのだ。
「話が上手な人でね、良くお客さんに、“私は昔、未来人と逢った事があるんだ”って語って聞かせてたのよ」と、その老婦人は笑う。
根拠は無いが、何故かそれは私の事であるような気がしてならない。
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