#310 『日忌様(ヒイミサマ)』

 前出のヒーラーの女性が体験した、もう一つのエピソードである。

 ――私は思う所あって、単身、伊豆大島まで旅行に出掛けた。

 泊まれるならばどこでも良かった。なるべく安い宿で、長期滞在を決め込む予定だったのだ。

 だが行ってみれば意外にも、長期滞在どころか島の人間にまでなってしまっていた。縁あって島の男性と結婚するに至ったからだ。

 最初は旦那の両親どころではなく、近隣の島民の全員から嫌われていた。実際、余所から来た人間には良い感情を持たない上、私の職業柄、「怪しげな宗教屋」と見られていた部分もかなり大きかったのだと思う。

 だがそれでも島での正月を迎え、年越しから普段の生活リズムに切り替わったある日の事。

「明後日と明々後日(しあさって)は仕事は休みだから」と旦那が言うのだ。

 カレンダーを見るも、そこは普通の平日で、ましてや祝日にも当たらない日。何が理由で休むのかと聞けば、「旧正月だもん」と、旦那はさも当たり前のように言うのだ。

 今時、旧正月を休んでまで祝う所など無いと思っていただけに、それは衝撃だった。聞けば旧暦の大晦日は、島民は全員、家から一歩も出ない日なのだと言う。

 私と旦那はその前日に、普段よりも少しだけ多くの食材を買い込んで、旧正月を迎える準備をした。だが特にご馳走の類を用意する訳でもなく、ただ単に「外に出ない」を前提に買い物をしただけだった。

 そして向かえた一月の二十四日。旦那が厳しく言うように、私は家から一歩も出ない構えで朝を迎えていた。

 その日は朝からひどい時化(しけ)だった。波の音がこの高台にまで聞こえて来るのだから、相当なものなのだろう。だが、旦那いわく、「窓の外を見てはいけない」のだと言う。おかげで家中の雨戸は閉められっぱなしで、朝だと言うのに妙な雰囲気だった。

 家の外の通りを、大勢の人が行き交っていた。いや、見た訳ではないからなんとも言えないのだが、人の気配と声にならない声が雨戸を通して伝わって来るのだ。

「ねぇ、今日ってなんなの?」聞いても旦那は明確な返事をしない。ただ、ぐうたらと寝そべりながらDVD鑑賞をしているだけ。だがさすがに私でも分かる。今日と言う日は、この島にとっての何かしらの行事の日なのだと言う事を。

 それはやけに落ち着かない日だった。風の音に、波の音。人が休みなく行き交う音。それは夜になればなるほどうるさく、「今夜は早く寝よう」と旦那は早々に就寝したが、外の騒々しさは日中の比ではなく、私は明け方近くまで悶々と寝返りを打っていた。

 そして一夜明けてその翌日。ようやく開いた窓からは、青い空と海が見えた。

「あれは日忌様(ヒイミサマ)って言う風習なんだよ」と、ようやく旦那が教えてくれた。

 毎年一月二十四日は、決して外には出てはいけない日。もしも外に出たり、窓から外を覗いたりしたら、海から来た日忌様に連れて行かれるのだと言う。

「えっ、そんな事ないでしょう。だって昨日は一日、何かのお祭りでもあるかのように、大勢の人が家の前の通りを行き交っていたじゃない」

 言うと旦那の顔色が変わる。その一言で何故か、その後の島民の私に対する態度がほんのちょっとだけ変わって来たような気がした。

 もちろん日忌様は今以て守られている独特の風習で、玄関に“トベラ”や、“ノビル”と言う草を吊るし、魔除けの代わりにするのだと言う。

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