#309『癒しの鐘』

 私は都内でヒーリングの仕事をしている。

 ある日の事、同じヒーラー仲間である女子四人で、熱海まで旅行に行く事となった。

 最初に泊まる宿だけ確保して、後は気分次第で観光をしながら目的地を目指す予定だった。

 途中で寄りたい場所が無かった訳ではないのだが、予定よりもかなり早く宿の近くまで来てしまった。

 車のナビを見ながら運転をしていると、突然、妙な雰囲気に襲われた。もう間もなく宿が見えて来ると言う辺りで、急に背中に悪寒が走るような感覚に見舞われたのだ。

 すると同乗している他の三人も同じ様子で、「なんだかこの辺り、気持ち悪い」と言い出す。ならばさっさと宿の風呂にでも入って宴会してしまおうと無理矢理な事を言いながら駐車場へと入って行くと、何故か更に嫌な感覚が強まったような気がした。

 宿の前に立つ。そしてその玄関の戸を開けると、“ゾクリ”と言う例えようもない気持ち悪さが駆け抜けて行く。

 あぁ、駄目だ。さっきから感じるあの嫌な感覚は、この宿の中からだと私は気付く。

 女将さんが、「ご案内します」と先立って私達を連れて行くのだが、何故かその嫌な感覚は一歩ごとに強まって行くような気がした。

 部屋の前に立つ。襖戸をからりと開けると、思わず「うっ」とうめき声を上げそうなぐらいの悪寒が這い上って来る。先程、運転中に感じたあの感覚は、その部屋から漂い出ているものなのだと確信する。

 お茶を淹れ、皆でテーブルを囲むも、まるで会話は弾まない。誰もが「どうしよう」と言う表情で耐えているのだ。

「ねぇ、正直に言ってくれる? この嫌な感覚って、どこから来てるか分かる?」

 私が皆に聞けば、全員一斉にその部屋の中にあるトイレを指さした。もちろん私も同じ意見だった。

 さぁ、どうしようかと困り果てた。宿の女将さんに聞けば、共同のトイレは他に無く、その各部屋にあるだけだと言う。だがしかし、使いたくはない。とは言え使わない訳にも行かない。どうしようかと迷った挙げ句、トイレ使用の際には全員がその戸口の前に立ち、用を足すまで待っていると言う案が採用された。

 そうして次々と用を足し、友人の一人であるUも仕方なく中へと入った。そうして出て来たUは、誰もが焦ってしまうほどに顔面が蒼白で、今にも気絶してしまいそうなぐらいにふらふらとよろめいていた。

「なんか取り憑かれた気がする」と、U。困った私達は、「霊能者ではないけれど、一応はヒーラーなんだから。私達でなんとかしよう」と、手持ちのバッグから使えそうなものを探した。

 そこで出て来たのが、“癒やしの鐘”と言うもの。それはいわゆるハンドベルと言うものなのだが、その音色で癒やしを誘うと言うそんな道具だった。

 偶然にも三人が三人ともに同じものを持っていた。「では頭から」と、三人全員でUの頭上から鐘を鳴らしてどんどん下の方へと向かっていると、なぜかそのUの肩の辺りで、鐘の音が「ガチン」と言うものに変わり、やけに重く感じるようになった。

「あれ、おかしい」と、私はその鐘を執拗に鳴らし続けていると、突然鐘は、「バキッ」と言う破壊音と共に中の玉が砕けて落ちて来たのだ。

 さすがに限界だった。誰もが荷物を持ち、悲鳴を上げて部屋から逃げ出した。

「もう出ます!」と女将さんに告げると、女将さんは困った顔で、「お代は結構です」と言う。

 その晩は、狭い車の中での車中泊だった。

 陽の出と共に、Uの様態は快方に向かった。

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