#298~299『ローレライ』

 大学のアウトドア同好会に所属しているのだが、そのメンバーにとびきり奇妙な奴がいる。

 同好会自体はほとんど趣味の延長で、ソロキャンプやディキャンプなどを楽しむ集まりでしかないのだが、その奇妙な友人――外田は、どちらかと言えばオカルト部などに所属した方が良かったのではないかと思えるぐらいのオカルト好きで、すぐにメンバーを誘っては心霊スポットなどでテントを張りたがる奴だった。

 ある時、外田は某県にある湖畔でのキャンプを提案して来た。その湖面を眺めながら、夜通し怪談を語り合おうと言う趣旨らしく、相変わらずほとんどのメンバーが難色を示していた。

 結局、それに乗ったのは僅か三人で、その中には僕自身も含まれた。だが当日になって一人がキャンセル。結局、僕と外田、そしてS君と言う男ばかりのメンバーで現地へと向かう事となった。

 電車を乗り継ぎ、バスに乗り換え、更に山道を歩く事数時間。ようやく現地へと辿り着いたのは午後の三時を過ぎた辺りだった。

「実はここ、人魚伝説のある湖なんだぜ」と、外田は嬉しそうに言う。

 陣取ったのは山から流れて湖に合流する川の最下流。目の前には相当な大きさの暗い湖が広がっていると言う、そんな場所である。

 早めの夕餉の支度をしつつ、「こんな噂がある」と、外田はその湖にまつわる人魚伝説を語り出す。

 月夜の晩に、湖の沖の方から美しい歌声が聞こえて来る。湖の傍で寝泊まりすると、人の姿に変わった人魚が覗きに来るなどと言う、そんな程度のありふれた話ばかりだった。

 夕餉も終わり、陽も沈み、持ち寄りの酒を酌み交わしながら怪談を語っていると、突然S君が、「シッ」と、指を口に当てる。

「どうした?」と、小声で聞けば、「今、なんか歌声が聞こえた気がした」と、S君が真顔で言うのだ。

 それを聞いていよいよ目を輝かす外田。「俺ちょっと小便行って来る」と、S君が立ち上がると、「何か見付けたらすぐに呼んでくれ」と、外田は弾んだ声で言う。

 しかしS君はなかなか帰って来なかった。どうしようか、探しに行こうかと迷っていると、向こうから小さなライトの光が見え、「誰かいた」と、真剣な表情でS君が戻って来た。

「誰って、誰よ?」聞けば「分からない」とS君。ただ、湖畔の周囲を歩く人の足音が暗闇の中から聞こえて来たらしい。

「俺、ちょっと行って来るわ」と、今度は外田が飛び出して行ってしまった。それをにやにやと笑いながら見送るS君。あぁ、こいつわざとやったなと思っていると、「あいつって単純だよな」と、S君は焚き火の前に座って外田を笑い者にし始めた。

 だが今度は外田が戻って来ない。先程、わざと遅く帰って来たS君とは全然違い、それこそ三十分、一時間が経過しても帰って来ないのだ。

 さすがに悪い事をしたと反省したのか、「探しに行く」と、S君が立ち上がる。そして僕もまたライトを取り上げ、一緒に探しに行く事にした。

「外田―!」と、大声で叫びながら、僕とS君は暗闇の中を探し回った。しかしどこにも外田の姿が無い。この闇の中、雑木林の中へと踏み込んだと言うなら話は分かるが、実際は歩ける場所もそう多くはないのだから、簡単に見付かる筈なのである。

 気が付けば既に深夜の二時を回っていた。「もう後二時間半もすれば陽が昇るから」と、僕はS君を諭してテントの方へと戻った。

 一睡も出来ないまま夜が明けた。充分に周囲が見えるようになって、僕達は再び外田を探しに出掛けた。

 結論から言うと、外田は思いもしない場所にいた。朝、水面から湯気の立ち上る湖畔の遙か向こう。足が付くか付かないかぐらいの辺りだろう場所に、肩から上だけ出して佇んでいるのが見えた。

 一瞬で、「もう死んでいるな」と悟った。「どうしよう、ここ圏外で電話が通じない」と、半泣きなS君をよそに、沖で佇む外田は僕達を見付けたのか、ゆっくりと手を上げ無事を知らせたのだ。

 自力で戻って来た外田は、既に唇も顔色も青を通り越した紫色で、がたがたと全身を震わせながら焚き火にあたり、「人魚を見た」と、笑った。

「何ふざけた事言ってんだよ」とS君が言えば、「本当なんだって」と、外田は得意そうに言う。だが彼の体調はどんどん悪くなって行く一方で、結局僕達はキャンプ用品のかなりの物をそこに残したまま下山し、外田を病院へと連れて行った。

 外田は体温の低下から肺炎等を引き起こしたらしく、その現地の病院で入院する事となった。僕達はキャンプ用品を取りに戻るかどうかでさんざ揉めた挙げ句、結局、全てを諦めて家路に着いた。

 十日後、退院して戻って来たらしい外田と、大学で再会した。

「復帰したのか?」と僕が聞けば、外田は首を横に振り、「その逆」と笑った。

 どうやら外田は休学する事にしたらしい。だが結局、大学で外田と逢ったのはそれが最後となり、彼はそのまま自主退学となって、僕達とも音信不通になってしまった。

 そうして僕が再び外田と出逢ったのは、それから更に十数年後。たまたま外田の名前をインターネットで検索し、今の彼の状況を知る事が出来たのだ。

 彼は今、某県に移り住んでいる。例の湖畔があるその町だ。

 どうやら外田は完全に例の湖畔に惚れ込んでしまったらしい。彼が立ち上げたホームページには、その湖の写真と奇怪な文章が並び、『今日も人魚を見掛けた』などと言うでたらめな記事で埋め尽くされている。

 果たして外田の目には何が写っているのだろうか、『人魚を捉えた!』と題された写真には、何の変哲も無い湖の風景が写り、『人魚の歌声』と題された音声データからは、彼の息遣いと風の音しか聞こえない。

 記事のコメント欄は彼への中傷文が多く並び、彼の今ある立場が伺い知れる。

 僕は彼と連絡を取り、久し振りに逢いに行く事にした。十年振りに逢う友人はやけに痩せ細り、「バイトで食いつないでいる」と明かした。

 僕自身は行きたくはなかったのだが、どうしてもと言うので例の山奥の湖畔まで付き合った。

 昔、僕とS君とで置いて行ったキャンプ用品はまだそこにあり、かなり古びてはいるが外田が今も大事に使っているらしい。

「なぁ、人魚見たいだろう? せっかくだから逢わせてやるよ」と外田は言って、僕を湖の近くまで連れて行くのだが、一体彼には何が見えているのか、「ホラ、あの沖の方で“立って手を振っている”のが人魚」と、指さして笑う。

 一応は、「なるほど」と僕も頷くが、いやそれはきっと人魚ではないよとは、到底僕には言えなかった。

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