#293 『見えない人』
俺は元々テレビが嫌いであまり見る事はしない。
だがある日、何気なく点けたテレビ番組に、奇妙な人が映り込んでいた。
それはモザイクの一種なのだろうか、とある男性出演者の顔にだけ霞が掛かったかのような白い“もや”が重なっていた。しかもその人の声までも編集されているらしく、声質が変と言うよりも完全に聞き取る事が出来ないまでに変えられてしまっている。
こう言うふざけた事をするからテレビ番組は嫌いだと俺は思い、電源を消した。
とある昼の事。仕事仲間と一緒に入った食堂で、またしてもそんな演出をしている番組を観てしまった。何やら顔と声を消されている出演者が、司会の人に話を振られて受け答えしていると言うもの。
不愉快だなぁと思いつつ飯を食っていると、突然仲間の一人が、「こいつお前にそっくりだよな」と、俺に向かってそう言って笑った。すると他の仲間も同様に、「そう、俺もいつもそう思ってた」と同意して笑うのだ。
「こいつって誰だよ?」聞けば仲間は声を揃えてこう言った。「ごにょごにょ、ごにょごにょ――だよ」と。
「はぁ? なんて言ったの?」もう一度聞けば、また「だから、ごにょごにょ、ごにょごにょ――だって」と、とても聞き取れない不鮮明な声で言う。
ただ、その番組に映るモザイクで顔を消された人がそれであると言う事だけは分かった。
それからと言うもの、例の顔モザイクの男性をあちこちで見掛けるようになった。それはテレビの番組に限らず、雑誌や広告、そして車中で聞くラジオでも。見る事が出来ない顔や、聞き取れない声が流れる度に、「またこいつか」と、俺はそう理解していた。
ただ、俺にはそれ以外の実害がもう一つあった。それはその顔モザイクの男性に良く間違われる事。道行く知らない人に声を掛けられたり、通りすがりの女子達に驚かれたりと、その反応は様々だったが、俺にはそのどれもが苦痛でしかなかった。
友人に聞けば、どうやら俺とその顔モザイクは、“瓜二つ”と言えるぐらいに酷似しているらしい。違う点と言えば置かれている立場が雲泥の差で、向こうが絶賛売り出し中のモデル兼俳優であるのに対し、俺はと言うと日雇いに近い肉体労働者と言う感じだった。
ある時、俺はその顔モザイクの載っている雑誌を片手に、とある霊能者の所を訪ねた。するとその霊能者、俺の顔を見るなり「ごにょごにょ、ごにょごにょ――さんですね?」と言うのだ。
「いや違う」と答えると、「いえ、ごにょごにょ、ごにょごにょ――さんで合ってますよ」と言い張る。不愉快なのを押し殺して懸命に話を聞けば、なんと俺とその顔モザイクは全くの同一人物なのだと言うのだ。
どう言う意味だと聞けば、どうやらその“顔モザイク俳優”と俺は、同じ世界で共存する“ドッペルゲンガー”らしい。元はと言えば一つの肉体に存在していた同じ魂であったのに、何かがきっかけとなり“追い出された”のが、俺なのだと言う。
「じゃあ何? 向こうが本物の俺って事?」聞けばその霊能者、渋々と頷き、「認め辛いでしょうが、その通りです」と言う。
説明を聞いていると腑に落ちる事ばかりだった。俺には両親どころか、十七、八ぐらになるまでの記憶が一切無い。ただ痛烈に思い出せるのは、何の取り柄も能力も無い自分が嫌で、「変わりたい」と必死で願っていたと言う過去がある事ばかり。
結局俺はその霊能者の話を丸々受け入れ、都会を離れて田舎へと越した。なるべくその顔モザイクに逢わないように、遠くへと。
ある日、テレビを観ていた同棲中の彼女が、「あんたに似てる、ごにょごにょ、ごにょごにょ――さんなぁ、昔は苦労していたらしいよ」と俺に話し掛けて来た。
なんでもその顔モザイク、かつては容姿にも中身にもコンプレックスを持っていたらしく、必死な努力で自分を磨いたらしい。
「変わりたいって、心からそう思ったんですよね」
一瞬だけ、声が鮮明に聞こえた。俺は驚いて振り向きテレビの画面を凝視するが、すでにそいつの顔にはモザイクが掛かり、相変わらず何を言っているのか聞き取れない声で会話をしていた。
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