#289 『視えると言う事』
私は物心付いた辺りから、両親に「この子おかしい」と言われ続けて育った。
いや、親だけではなく友人に、学校の先生に、そして近所の人達からもそう言われていたのを覚えている。
きっと実際にそうなのだろう。小川を流れて行く落ち葉を拾おうとして水の中へと飛び込んだり、半ば燃えてしまっている焚き火の中の小枝を、泣きながら拾おうとしたり。周囲からしてみれば、確実に「おかしな子」だったに違いない。
だが私には見えるのだ、小川を流れて行く落ち葉の上に、小さな老人が乗っていて手を上げながら助けを求めていたり、燃える枝に白い蛇が巻き付いていて、苦しそうに口をパクパクとさせていたり。
もちろん友人どころか両親にさえも、そんな話をした所で全く信じてはもらえない。
だが祖母だけは違った。私の話を信じてくれた上で、「多恵子には、八百万(やおよろず)様達が見えるんだねぇ」と、頭を撫でて褒めてくれるのだ。
ある秋の日の夕暮れ時。枯れた木の上に大人が四人、枝に腰掛けて座っているのを見掛けた。
私はその木の下でぼんやりとその人達を見つめた。大人でも木登りなんかするんだなぁと、そんな感心をしていた記憶がある。
するとその中の一人が、「お嬢ちゃんも登ってごらん」と言ったのだ。私はすぐに「うん」と頷き木に近付くが、「まだ駄目よ」と、違う枝の上に登る別の人が、それを止めに入った。
見ればその人だけは大人ではなく、むしろその当時の私と同じぐらいの年頃で、花柄の和服の衣装を着込んだおかっぱ頭の女の子だった。
「まだ駄目よ。家に帰っておばあちゃんに聞いてから登っておいで」と、その女の子は冷ややかに言う。それを聞いて私はまた、「うん」と頷き、家へと駆けて戻った。
祖母に今さっきの出来事を詳しく話すと、「その子はどんな感じの子だった?」と聞くので、手短に容姿を説明すると、「お礼に行かなくちゃ」と、私を連れてその木まで向かった。
木にはもう誰の姿も無かった。祖母はその木に手を合わせ、何やらぶつぶつと唱えた後、「あんたには精霊の類まで見えるんだねぇ」と、笑って頭を撫でてくれた。
「おばあちゃんにも見えるの?」と聞けば、祖母はそれには何も答えず、ただ笑っているだけだった。
それでも私は、祖母がただ者ではないと言う事だけは、それ以降の様々な場面で理解する事が出来たのだ。
――今回で一応は多惠子さんのお話しは終わりなのだが、機会があればまた別のエピソードも紹介したいと思う。
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