#288 『捨て猫』
今回もまた、前出の多惠子さんのエピソード。
――この体験は、私がまだ中学生だった頃の話だ。
学校帰り、とある空き地の木の下で、捨て猫を見付けた。真っ黒な子猫で、タオルの敷かれた段ボールの中に入れられ、捨てられていた。
やめとけばいいものを、私はそっとその子を抱き上げて頭を撫でてしまった。
一瞬で情が湧き、どうにかして連れて帰りたいと思ってしまったのだ。
いや、それは駄目だと子猫を箱に戻すも、既に自力で歩けるほどには成長していたらしく、にゃあにゃあとか細く鳴きながら立ち去る私の後を付いて来る。
仕方なしに、怒られるのを覚悟でその子猫を抱き上げて家へと向かうと、もう間もなく自宅と言う辺りで子猫はぶるりと身体を震わせ、身をよじって私の腕から逃げ出して行ってしまった。
残念ではあったが、家族に怒られずに済んだ事は幸いだった。
夕食時、祖母が私の顔を見るなり、「なんか匂うね」と鼻を鳴らして私の横を通り過ぎて行った。
一瞬、バレたかなとは思ったが、それ以上は何も言われずに終わった。その夜の事――
「ダンダン、ダンダンッ!」と、けたたましい殴打の音で目が覚めた。
時計を見れば真夜中の一時半。何事かと身を起こすも、その音は尚も続いており、私がそっと部屋から顔を出すと、一階の玄関に灯りがともったのが階段の上からも分かった。
「どちらさん?」と、お父さんの声が聞こえた。続いてがらりと戸の開く音。父が「あれぇ?」と首を傾げているのを階段の上から見下ろしつつ、「どうしたの?」と私が聞けば、「誰もいない」と父は言う。
その瞬間だった。手摺りにつかまり階段の下を覗く私の脇を、するりと“何か”が通り抜けて行く感触。私は咄嗟に振り返るが、何もいない。
部屋へと戻って再び床に就くも、今度は家の中で怪音が鳴り出す。
ててててて――タンッ! と、まるで四つ足の小動物が走り回るような音。そしてその音は、明け方近くまで続き、私の眠りを妨げた。
翌朝、ようやくうとうととしかけた私は、「多恵子」と私を呼ぶ祖母の声で目が覚めた。
「どうしたの?」聞けば祖母は、大きな溜め息を吐き出しながら、「あんたはまたなんか拾って来たね」と、私の顔を見下ろしながら言う。
一瞬、昨日の黒猫の事かと思った。いや、だが、厳密には拾って帰っては来ていない筈。バレる訳がないと思っていると、「黒い子猫、拾って来たでしょう」と、私が気にしている事を見事に言い当てられた。
「えぇと、あの、別に拾って帰って来た訳では……」
「あんたは小さい頃からいつも“そう言うもの”ばかり連れて来る」と、祖母は私の腕を取ると、袖をたくし上げ、筆で小さく“猫”と書いた。そしてその周りを更に小さな奇妙な文字で、丸く取り囲む。
「あんた今日は、ぐるりと遠回りして帰って来なさい。なるべく橋を渡って、川の上をジグザグと行ったり来たりを繰り返し、途中に神社があったらその鳥居も抜けて帰って来なさい」と、祖母は言った。
私はその日の帰り、祖母の言う通りに行動した。いくつかの橋を渡り、目に入った神社の鳥居をくぐり、とあるお狐様の祠で手を合わせていると、どこか遠くの辺りで猫の悲鳴のような声が聞こえた気がした。
家へと帰り玄関をくぐると、何故かそこには祖母がいた。
「腕を見せてごらん」と言われ、袖をめくってみると、なんと今朝書いた筈の文字が、“猫”の部分だけ消えて無くなっているのだ。
「もう、猫はいなくなったの?」と聞けば、祖母は「ありゃあ猫じゃない」と言って、ろくに説明も無しに自室へと引き返して行ってしまった。
翌朝、私はその事が少し気になって通学途中に例の空き地の前を通り、猫の姿を探してしまった。すると、前に来た時のまま木の下に段ボールの箱が置いてあり、そこから黒いゲル状の“何か”が這い出て来て、ぎょろりと私を睨み付けると「にゃあ」と鳴いたのだ。
あぁ、本当だ。猫じゃなかった。私はそう思って、その場を立ち去った。
その翌日には、もうその箱の中には、何もいなくなっていた。
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