#284 『逢えない』

 宅配弁当の会社で、営業をしている。

 その日は部長と二人で飛び込みの営業へと出掛けた。昼になったら落ち合ってランチに行こうと言われていたので、僕は昼の三十分前には切り上げて、公園のベンチで一休みしていた。

 部長より電話が来る。出ると、「どこにいるの」と聞かれ、公園の名前を読み上げる。

「あれ、おかしいな。僕もその公園にいるんだけどな」と、部長。だがどこをどう見回しても、それらしき姿は見当たらない。

「××公園で合ってます?」と聞けば、「合ってる」と言う。公園の中の遊具や、遊んでいる子供達の様子などを聞けば、部長もまた同じものを見ているらしく、そっくりそのまま言い当てて来る。

 だが、いない。さほど大きな公園でもないのだから、隠れられるような場所さえ無いと言うのに、である。

「部長、公園のどの辺りにいるんですか?」聞けば、「水飲み場の横のベンチなんだけど」と言う。不思議な事に、それは僕の座っているベンチの真横だった。

 突然、公園の外の道路を選挙カーが走り去って行った。すると受話器の向こうからも全く同じ街宣の声が聞こえて来る。

「ちょっと……気持ち悪い。少し経ってからまた電話するよ」と、電話を切られた。僕もまた電話を持ちながら呆然としていると、向こうの角を曲がった選挙カーの音が、ふつりと途切れたのだ。

 突然の静寂。気味が悪いぐらいに何の物音も聞こえて来ない。見れば先程までいた、公園のブランコにまたがる子供の姿さえも無い。

 僕は一瞬で理解した。おかしいのは部長ではなく、僕の方だと。何をどうしてこうなったのかは知らないが、僕自身が“普通ではない場所”に来てしまったのだと感じた。

 ここに来る直前の事を考える。そう言えば最後に立ち寄った家での会話が、やけにおかしかった事を思い出す。インターフォン越しの会話だったのだが、応対に出た女性の声がやたらと甲高く、しかも言っている事が支離滅裂で意味が不明。むしろ聞いた事のないような言語も多く混じっていた。そうして僕は首をひねりながら、午前の飛び込みはここで終わろうと公園に来たのだった。

 どうしようか。もう一度、あの家を訪ねてみるべきだろうか。思っているとまた部長からの電話。出てみると先程の家でのやりとりそのもののように、やけに甲高い声の部長が、支離滅裂で意味不明な事ばかりをまくしたてる。

 急に立ちくらみがして、僕はベンチに腰掛ける。そしてそこからの意識はほとんど無い。

 どこからか湧いて出た人達に取り囲まれ、そして救急車に乗せられて運ばれて行く場面。

 僕は、「“てんかん”だから」と診断されて、病院に一泊をした後に帰された。

 翌日、会社へと向かうと部長の姿が無い。聞けば珍しい事に無断欠勤だと言う。そうして部長はその後一度も会社へと顔を出さないまま退職した。

 もしかしたら、”普通ではない場所“に行ってしまったのは僕ではなく、部長の方だったのかも知れない。

 あれから僕は、ただの一度も“てんかん”の症状に見舞われた事は無い。

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