#270 『忘れ物』

「またか」と、私はぼやく。

 バスの後方の席の下に、揃えて置かれている男性用の革靴を持ち上げ、溜め息を吐く。

 もうこれで通算何十回目となるのだろう。私は路線バスの会社で運転手を務めているのだが、何故か私が運行するバスからは驚くほどの件数で靴の拾得物が見付かる。それは子供用の運動靴だったり、女性用のパンプスだったりと様々なのだが、あまりにも頻繁に靴が見付かるので、同僚からは“靴屋”とまで呼ばれるようになった。

 ウチの会社は警察署より特例を受けており、拾得物については届け出を提出する事なく三ヶ月間保管をした後、廃棄して良い事となっている。もちろん見目良い拾得物は持って帰る人もいるのだが、私が拾った靴に関しては大抵、廃棄処分となっていた。

 ただ、どうして靴を忘れて行く人が続出するのか。私にはそれが不思議で仕方なかった。

 もう既に降りる人の足下を確認するのは癖となっていて、それでも裸足で降りた人は未だ一人もいない。

 もしかして悪戯で靴を持ち込み、置いて行く人がいるのではとも考えたのだが、それもまた有り得ない話ではないかと私は思う。

 だがある日、私はその靴が現れる瞬間をこの眼で目撃してしまったのだ。

 それはもう最終の運行時で、後はもう終点まで乗客を運んで車庫へと帰るばかりの時刻。

 既に客はまばらで、終点間近で最後の一人が降り、車内は運転手の私だけ。そんな時、ふと乗客側だけを見る事が出来るバックミラーを覗き、私は小さな悲鳴を上げた。二人掛けのシートのその後ろに、乗っている人の姿は無いものの、シートの下から女性のものとおぼしき足が見えていたのだ。

 それはあまりにも唐突で異常な状況だった為、そこから先の運転はほとんど記憶に無い。ただ、車庫へと戻って車内点検を始めると、想像した通り先程足のあった場所に女性物の靴が揃えられて置かれていた。

 以降、私は運転が駄目になった。なんとか上司を説得し、運行記録係として異動をさせてもらった。

 したがって、靴の拾得物は一気に減った。私ももうあんな怖い事は懲り懲りだと思いながら、今も電車で通勤を続けている。

 ある日の帰り、つい電車のシートでうつらうつらと居眠りをしてしまった。

 ふと目を覚ませばその車両には誰の姿も無く、ただ床一面に揃って置かれた靴だけがあった。

 私は悲鳴を上げて目を覚ます。見れば私の方を見てクスクスと笑う女性や、顔をしかめる男性の姿が目に入った。

 あぁ、寝てしまったんだなと罰の悪い顔でふと真正面を向けば、目の前のシートに、誰も座っていないのに揃えて置かれた女性ものの靴があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る