#259 『憑いて来る』

 僕がまだケイブダイビングを始める前の話だ。生まれ育ったのは目の前が海の観光地。僕はそんな環境で、小さい頃から素潜りでダイビングを楽しんでいた。

 そうして僕が二十歳を過ぎた辺りの頃だ。観光客の女性の一人が行方不明だと言う知らせを聞いた。誰もがその女性を探しに浜辺へと向かうが、もしも溺れたとしたら――と、当たりを付け、僕は隣町にほぼ近いテトラポットの岩場へと向かった。潮の流れで、大体はここに流れ着くと言う事を知っていたからだ。

 そしてそこで、女性を見付けた。何度も何度も岩場へと打ち付けられたらしく、既に遺体はぼろぼろになっていた。僕はその女性の遺体の手を引いて、地元の海まで泳いで戻った。

 皆に感謝はされたが、実際は心地よいものではない。もはや原型を留めていない水死体を引っ張って泳ぐと言う事が、どれだけ気味の悪い事か。

 その晩から、僕の身の回りで怪異が始まった。物音がしたり、人の気配がしたり、どこかで笑い声が聞こえたり等は日常茶飯事で、部屋の中がやけに生臭かったり、布団が干しても干しても湿っぽかったりするのにはとても辟易した。中でも特に困ったのが、稀に僕を見て悲鳴を上げて逃げる人がいる事だった。一体何が見えているのかは知らないが、良く犬などにも吠えられたりするのは、同じ理由からなのだろうと感じた。

 ある日、高校生の妹がソフトボール部の合宿から帰って来るなり、僕を見て「とんでもないのに引っ付かれてるな」と言うのだ。

「何が憑いてる?」と聞けば、「ぼろぼろの溺死体な水着の女性」と妹は言う。

 想像した通りだとは思ったが、対処出来るすべが無い。どうしようかと妹に聞けば、「ほっとけ」と言うのだ。

「どんどん崩れて無くなって行ってるから、ほっとけばその内、完全に無になると思う」

 なるほどとは思ったが、「無になると思う」と、とても曖昧な部分に疑問は残った。だが妹の言った事は本当で、時間が経つにつれて徐々に怪異は減って行った。

 ある晩、「もう完全に消えただろ?」と聞けば、「まだいる」との事。

「どんな状態?」と重ねて聞けば、「いや、聞かない方がいい」と言うのだ。

 それから半年後にはいなくなったらしいのだが、それ以降、やけに海難事故の人々から慕われるようになってしまった件については、またいつかの機会に話そうと思う。

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