#257 『植え込みの顔』
自宅から駅まで行く途中のとある歩道に、とんでもない場所がある。
それは、とある宗教法人の建物の裏手に当たる部分。建物と歩道を隔てている背の高い植え込みの木々が延々と続いているのだが、その植え込みの隙間全てから人の顔が覗いているのだ。
一体、そこの植え込みに何十人の人が隠れているのか。頭髪も眉毛も無く、無表情な老若男女の顔がただ呆然としながら、視点の合わない目付きで前方を睨んでいる。
私にはなんとなく分かった。多分これは、私にしか見えていない奴だと。だから私もそこを通らなくてはいけない時は、「見えていません」をよそおって、早足で通り過ぎていた。
ある晩の帰り、とても具合が悪く、とても遠回りして帰る余裕が無かった為、仕方なく例の道を通る事にした。
暗がりで見る植え込みの顔はことさら不気味で、何度も引き返そうと考えた。だが一刻も早く家に帰りたい一心でそこを歩き始めると――
「だめ、だめ、だめ!」
「止まって!」と、植え込みの顔の全てが口々に叫び始めたのだ。
私は慌てて足を止める。尚も顔達から「戻って! 戻って!」と言われて、結局私は駅まで引き返し、タクシーを拾って帰った。
その晩、臨時のニュースがテレビで流れた。内容は通り魔殺人が起こったと言うものだ。
見て驚いた。それはとても近所で、しかもあの宗教法人の裏手にある暗がりの路上だった。
事件は未遂で終わったみたいだが、時刻はまさに私が歩いて帰っていた時のもので、もしかしたら私自身が遭遇していてもおかしくはないだろうタイミングだった。
同時にそれは、植え込みの顔達が叫んだ意味が分かった瞬間でもあった。
あれ以来、その道を怖いとは思わなくなった。それどころか――
「おはようございます」と、道の端で挨拶をする。すると植え込みの顔も一斉に、「おはようございます」と返してくれる。
にこやかに微笑む顔達の前を通り過ぎ、駅へと向かう。今ではすっかり、意志の疎通が取れるようになってしまった。
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