#253~254『民間伝承 スナコロべ・壱』
我が地方に、“スナコロベ”と呼ばれる妖怪がいる。
当然、知名度は恐ろしく低く、僕が住んでいる地域でのみ語り継がれている程度で、文献自体も郷土史のどこかのページに少しだけ載っている程度である。
但し、地元民に対しては怖いぐらいに効果のある存在でもある。夜はスナコロベの歩き回る時刻だから、丑の刻(うしのこく:深夜の午前一時から三時までの時刻)には決して外を出歩いてはいけない。家中の照明は消さなくてはいけないと言うしきたりがあった。
その当時、僕がまだ中学生だった頃の事だ。あまり素行の良くない友人とつるんでいて、その中の一人であるT君の家をたまり場にして、ほぼ毎日、放課後はそこで過ごしていた。
T君は母親と二人暮らしだったのだが、お母さんは水商売をしているらしく、帰りはいつも翌朝だった。
とある金曜日の事。今日はTの家で泊まろうぜと言う話になり、酒や煙草を持ち込んでの宴会めいた騒ぎとなった。
気が付けばいつのまにか時刻は、とうに零時を過ぎていた。僕はふと、「照明消さなくていいのかな」と不安になったが、友人達はまるで眠る様子が無い。そうして時計の針が二時を指した頃だった。友人の一人がトイレへと行くと階段を降りて行き、少しして酷く慌てた顔で戻って来た。「外に誰かいる」と、そう言うのだ。
小用を足していると、向かいの開いた窓から「じゃりっ、じゃりっ」と、小石を踏む足音が聞こえて来たらしい。「マジかよ」と誰もが笑い、二階の部屋の窓を開け放った。すると――
「じゃりっ……じゃりっ……」確かに聞こえる。かなり遠くの方だが、確実にこの家の周りを歩いている音である。「泥棒だ」と誰かが言い、T君が金属バットを手にすると、誰もが何かしらの武器を携え階下へと降りて行った。
友人達はめいめいに一階でばらけた。各部屋へと散らばり、様子を見る事にしたのだ。そして僕はT君と一緒に台所へと向かい、T君はそこの勝手口の前へと立って様子を伺う。
じゃりっ……じゃりっ……と、足音が勝手口の前を通り過ぎた。その瞬間、T君は勢いを付けてドアを開け、「誰だこら!」と盛大な声を上げた。
一瞬固まるT君。次の瞬間、ひどく情けない悲鳴を上げてT君はドアを閉めて施錠した。
皆がその悲鳴を聞いて集まって来る。T君は尚も悲鳴を上げて二階へと駆け上って行く。
「どうした?」と誰かが聞けば、「バケモンだ!」と、T君。そして皆でT君の部屋へと閉じこもり、「どんなのがいたんだ?」と聞けば、「背の高い、裸の男の姿だった」と言う。
それなら普通に変質者的な男の人なんじゃないのかと返せば、Tは大きく首を振り、「全身が赤と黒のまだらだったんだよ」と言うのだ。しかもその下半身はまるで大きな魚のようで、そんな魚の腹の辺りから人の足が突き出て、立っていたのだと言う。
確かにそれはバケモンだと思った瞬間だった。階下から「バリン」と音がして、それに続いてバタンバタンと、まるで魚が床で跳ねているかのような激しい物音が聞こえて来た。
家の中に入って来たと、誰もが思った。やがて“それ”は立ち上がって歩き出したのだろう、べたん――ずるるるる――べたん、と、妙な足音が聞こえて来た。
誰もが震えながらドアの前に立つ。やがて足音は階段を上る音となり、“それ”が部屋の前に立った。
ぎょうぅぅぅぅぅ――と、妙なうなり声がする。ドアの隙間から、やけに生臭い匂いが漂って来る。いつドアを開けられるのかと生きた心地もしないまま震えて立っていたのだが、結局そのドアは開けられぬまま、朝を迎えた。
山の稜線が次第に青みを帯びて来る。階下でずるずる――どちゃっと、外へと出て行った感のある音がする。僕らは完全に陽が昇った後でドアを開けたのだが、まるで巨大ななめくじでも這ったかのような、ぬらぬらとした液状のものが廊下や階段に続いていた。
当然、僕らはもう二度と深夜近くまで遊ぶ事はしなくなったのだけれど、のちに僕が調べ上げた“スナコロベ”とは、背が小さく、全身が黄色い毛で覆われた猿のような妖怪だと言う。
T君が見たものとは、まるで違うのである。
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