#250 『防波堤の人』

 とある海岸近くに宿を取った。二泊三日で、釣りを楽しむつもりだった。

 初日の夜、近くの海辺で夜釣りをする事にした。行けば防波堤の上に一人、先客の姿が見えた。

 最初は別の場所に陣取ろうとしたのだが、良く良く見ればその釣り人のいる辺りにしか街灯が無く、仕方なしにその人の横へと向かった。

「横、いいですか?」と、ロッドを握る年配の男性に声を掛ける。

 一呼吸を置いてから辺りをうかがい、そして「いいよ」と、その男性は言った。

 最初は全く当たりが来なかった。こりゃあ失敗だったかなと思っていると、隣の男性が僕の装備を覗き込み、「仕掛け、こっちの方がいいよ」とアドバイスをして来るのだ。

 その男性の言う通りにすれば、間もなく最初のヒットが来た。その後もその男性はあれこれと僕に教えてくれるのだが、不思議な事に僕の方だけバンバン釣り上げるのに対し、男性の方はまるで何の当たりも来ない。見ればバケツの中も空っぽだ。

 気まずいなぁと思いながらも続けていると、僕はふとおかしな事に気が付いた。その男性はまるでロッドの操作をしていないのである。

 糸が付いていない――と理解したのは、それから少ししてからの事である。

 途端、僕はその横に座る男性の事が怖くなった。もしかしたら変な人なのかなとも思った。

 だが僕のそんな思考が読まれでもしたのか、「俺はただ、こうして座ってるだけで楽しいんだよ」と、男性は皮肉交じりな口調でそう言った。

 それからしばらく他愛もない会話をした後、男性はふと夜空を見上げて「シケるな」とぼやいた。そうして僕に、「そろそろ切り上げた方がいいよ」と言う。僕もまたいい加減宿に戻りたくなっていたので、「では」とばかりに装備を引き上げ退散した。

 帰る途中、額にぽつりぽつりと雨粒を感じた。宿へと戻り、ロッドしまっていると突然、豪雨が来た。間一髪なタイミングだったなと僕は思った。

 翌朝は台風のような強烈な風雨の音で目が覚めた。釣りに来たのに今日は宿で昼寝しかないなと思いながら窓の外を覗くと、昨日釣りをしていた防波堤に昨夜の男性が同じ場所で釣りをしている姿が目に飛び込んで来た。

「なにやってんだ、あの人」と僕は驚く。見れば高波が防波堤を乗り越え道路を叩いている。あのまま釣りをしていたら、いつ波に飲まれてもおかしくはない。

 僕は急いで外へと飛び出る。防波堤の方へと向かえば既にそこの手前辺りで交通規制が敷かれ、黄色のバリケードが張られていた。

 そしてその向こうに、男性はいた。そこに突然の高波。滝のような水量で波が男性を飲み込むと、次の瞬間にはそこに男性の姿は無かった。

 さらわれた、と僕は悟った。だがどうにも様子がおかしい。周囲には波の様子を見に来た野次馬が沢山いて、今のその瞬間を僕と一緒に見ている筈なのに、誰もその事については反応を示していないのだ。

 そこでようやく僕は悟った。要するにあの男性は、そう言う存在なのだろうと。

 夜、宿の飯を食べながらそこのオーナーに昨夜出逢った男性の話をした。するとオーナーは、「ラッキーだったね」と笑い、「神さんと釣りが出来る人なんて滅多にいないよ」と、そう言ったのだ。

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