#245 『姉の行方』
まだ私が幼かった頃の話だ。
深夜にふと目を覚ますと、私は走る車の後部座席にいた。おかしいな、部屋のベッドで寝た筈なのにと思いつつ起き上がろうとすると、それまでずっと膝枕をしてくれていたのだろう姉が、私の身体を押さえつけ、「動かないで。そのまま寝ていて」と言うのだ。
私は姉の言う通りにした。やがてすぐにまた眠気がやって来た。ただ、今でもその時の異様な感じだけははっきりと覚えている。運転席には父、助手席には母が乗っているらしかったが、どちらも全く話はせずに、ただ黙々とどこかへと向かって車を走らせているだけだった。
次に目を覚ますと、私はどこかの小屋の中にいた。いつの間にか朝を迎えたらしく、薄汚れた窓から陽の光が射し込んでいた。
おそらくそこは農機具を置いておく場所だったのだろう、耕運機の類いが二台置かれていて、その傍らには草刈り機や鍬、スコップ等が、乱雑に立て掛けられていた。
私はその小屋の中の汚いソファーの上で寝かされていた。車中と同じく姉が膝枕をしてくれていて、私が起きると同時に、「おはよう」と言ってくれた。
父と母の姿は無かった。どこに行ったのかを聞けば、「色々と知り合いを訪ねている」と、姉は教えてくれた。
「しばらくは学校に行けないかもね」と言われたが、どうしてそうなったのかについては全く教えてくれない。その日は姉がくれた梨や林檎をかじって飢えをしのぎ、両親が帰って来るのを待ち続けた。
深夜、姉の強い口調で目が覚める。声は隣の部屋から聞こえた。私はそっとソファーから降り、足音を忍ばせて戸口まで行く。
隙間から隣を覗いた。いつの間にか父と母は帰って来ていたらしく、二人共こちら側に背を向けて座っているのが見えた。そしてその真正面に姉が座り、何やら咎め口調で両親に向かって責め立てている。不思議と両親は何も言わずに姉の主張を聞いているだけだった。
聞いてはいけない事だと、私は直感した。そして再びそっとソファーへと戻り、横になる。次は朝まで目覚める事はなかった。
翌朝、両親は既に外へと出掛けていた。姉は私が起きたのを見計らい、「出掛けるよ」と言う。私はただ黙って頷き、姉の後を付いて小屋を後にした。
どこへと向かっているのだろうか、姉は迷いもせずにどんどん道を進んで行く。私は両親が帰って来るであろう小屋を留守にする事に少しだけ躊躇いがあったのだが、いつしか大きな駅へと出て、電車に乗りながら姉に買ってもらった駅弁を食べている内にそんな不安も忘れてしまった。
姉はとある駅で私の手を引き、降りた。そしてまたしばらくの距離を歩き続け、一軒の家の前へと辿り着く。
「ここには叔母が住んでるの」と姉は言った。そして姉はとても優しい表情で私を見つめ、「私はお父さんとお母さんを探して来るから、しばらく叔母さんの家で待ってて」と言う。
「しばらくって、どれぐらい?」聞けば姉は、「ほんのちょっとよ」と笑った。
門のチャイムを鳴らすと、微かに私の記憶にもある叔母が姿を現わした。叔母は私の名を呼び、とても驚いた顔をして玄関から飛び出して来た。
その時の私は、なんだかとても疲れたと言う印象ばかりが強かった。叔母に抱きしめられ、一体どこへと行ってたのと何度も聞かれた。私は姉に助けを求めようと背後を振り返ったが、姉の姿はもう既に無かった。
叔母夫婦には、ここ数日にあった出来事を全て話した。二人はその話をとても不思議がって聞いたが、疑っている様子はまるで無かった。やがて私はその家の近くの学校へと通う事になり、いつしか叔母夫婦の養子となって名字までもが変わってしまった。
姉と両親が無理心中の果てに亡くなったと聞いたのは、私が二十歳を過ぎてしばらく経ってからの頃だった。
私はそれを聞いて、姉を一人で両親の元へと帰らせた事を心底後悔したが、叔母は悲しげに首を振り、心中が行われたのは、まさに家族全員で車を走らせていた晩の事なのだと教えられた。
父はまず姉を殺害し、次に母を手に掛け、最後には自ら首を吊ったらしい。そしてその犯行は全て家の中で行われたと言う事だった。
家からは私の遺体だけが見付からず、警察も行方を調査し始めた所で、私が叔母の家を訪ねたのだと言う。
そう言えば父は、車どころか免許すらも持っていなかったと言う事を思い出す。
今以て、あの二日間が何だったのか、理解が追い付かないのである。
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