#242 『対岸の祠』
子供の頃からとても不思議に思っていた場所がある。
それはとある河川の向こう岸。道も無ければ船でも渡れそうにない場所に、ぽつんと存在している祠。あぜ道を行き、田畑を抜けた先にある川向こうに、それはあるのだ。
僕は何故かその祠にとても惹かれ、近くを通ると必ずその前を通り、川越しに手を合わせていたものだった。
僕が高校生となったとある春休み。ふと例の祠を思い出し、何故か「もう小さな子供じゃないんだ、今ならきっと行ける」と妙な確信を感じ、単独で祠探しへと向かう事にした。
出掛ける前、家から饅頭を一つ持ち出した。どうせ祠へと行くなら何かお供えをしなきゃいけないと思ったからだ。
まず、自転車でいつもの河川敷へと向かう。そしてその周囲の風景をしっかりと記憶しておいて、今度は相当な迂回をしながら川向こうへと向かった。
対岸はかなりの遠回りだった。雑木林を抜ける砂利の道を走り、木々の間から見え隠れする対岸の景色を眺めつつ、場所の当たりを付けた。
「ここだ」と、見覚えのある場所で自転車を停めた。対岸から見ても相当な藪だったのだが、こうして目の当たりにすると、とてもじゃないが人が分け入って行けるような場所には思えない。だが確実に祠はあるのだ。僕は意を決してその藪の中へと飛び込んだ。
祠探しは想像よりも遙かに困難を極めた。僕の腰よりも高く伸びた草を分け、縦横無尽に曲がりくねって生えている木々を抜け、川の近くまで辿り着く。だがしかし、祠どころか人工物のようなものはまるで見当たらない。僕は何度も何度も対岸の景色を眺めては「この辺りの筈」と、その周辺を探し回った。
するとその様子を、向こう岸の農家の人々が見付けたらしい。何人かが対岸に集まって来て、がやがやと僕に何かを叫んでいる。だが、川の音が邪魔してまるで言葉の意味が分からない。
やがて向こうの人々は、手で合図を送るようになった。きっと僕を祠に誘導してくれているのだろう、僕はその合図に従って藪を突き進み、ようやく目的の祠へと辿り着く。
祠に積もる枯れ葉を払い、ポケットに忍ばせた饅頭をお供えする。当然の事ながら饅頭は潰れていびつになってはいたが、僕はそれを置いて手を合わせた。
「また来ます」と、僕は心の中で呟いたが、そうそう来れるものでは無いだろうなとも感じていた。
それから少しして、連続して発生した台風の脅威に見舞われ、僕の家の周囲は酷い水害で甚大な被害をこうむった。だが不思議と、例の祠の近くの田畑は全くの無事で、祠の前を流れる河川も氾濫する様子一つなく済んだのだと聞く。
それから少しして僕は、例の祠に掛かる橋を見付けて驚く事となった。どうやら僕が先日にそこへとお参りをした話を聞いたらしく、そのおかげで水害を免れたとでも思ったのだろう、周囲の田畑の地主さんが金を出して作られたのだと言う。
僕は今でもたまに、その祠へとお参りしに行く事がある。
家から持ち出した饅頭をお供えしながら、「また来ました」と、心の中で呟きながら。
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