#240~241 『服の道』

 私がまだ小学生だった頃の話だ。

 親の都合で、とある片田舎へと引っ越した。当然その地元の小学校へと転校する事になったのだが、クラスメイトからは都会から来た者だとからかわれ、なかなか馴染めずにいた。

 ある日の事。家の裏にある高台へと一人で探検に出掛けた際、同じクラスの男子数人と鉢合わせをしてしまった。しかもその男子達は、クラスの中でもひときわ私に嫌がらせを仕掛けて来る者ばかりで、私は内心、「しまったなぁ」とそこに来た事を後悔した。

「おめぇ、どさ行くのよ」と、Yと言う名前の男子から、訛りのある言葉で訊ねられた。そいつはそのグループの中で一番のリーダー格らしく、背格好も同学年の子供よりずっと大きかったのだ。

「知ってっか。この先は“服屋さん”っつう幽霊屋敷があんだで。子供はぁ行ったらいげねぇ言われてんだ」

「そうなんだ……」と私が返事をすると、「今日ば特別にそご見せてやる」と、Yは意地悪く笑うのだ。

「Yちゃん、それはやめようよ」と、仲間の取り巻きがそれを止める。だがYはその制止に腹を立てたかのように、「行ぐぞ!」と仲間を急き立てた。

 何故か私が先頭を歩かされた。長い石段をてっぺんまで登らされ、そこから続く細い一本道を辿っていると、とある地点から急に異質な空間となった。

 その細い砂利の道の両側には、背の低い植え込みの木々が植わっているのだが、何故かその植え込みには、まるでそれを干しているかのようにして色とりどりな洋服が無造作に掛けられているのだ。

 ぞくりと背筋に冷たいものが走る。いや実際に空気の熱量が変わったのだと思う。背後から、男子達の唾を飲み込む音が私の耳へと届いて来た。

 次第に、散らばる服の量が増して来た。そのほとんどは婦人物の洋服らしく、地味なものや派手なものとが混在しながら道の両脇に転がっている。そうして、やがてその前方に一軒の建物が見えて来た頃には、道の上にまで服が散らばるようになり、水を吸った洋服が足の下でぐしゃりと潰れる感覚があった。

 そこは、木造平屋の工場めいた作りの家だった。看板は立っているが、旧仮名遣いが多いせいか、当時の私にはまるで読めなかった。

「行って来い」と、背後でYが言う。

「やめようよ、Yちゃん」と、男子の一人がそう言うと、「おめぇらも行くんだよ!」と、Yは怒鳴るのだ。しかも自分自身はその中に含まれていないらしい。「ここで見ててやっから」と、転がる一斗缶に越しを掛けてYは私達の怯える様子をにやにやと眺めている。

「いいよ、行こう」と、私は皆をうながす。取り巻きの子は総勢四人。どうやらどの子もYの暴力的な行動に支配されているだけらしい、もはや私を脅かすどころの話ではなく、誰もが完全に怯えきった表情をしていた。

 建物の中はとても暗く、窓から飛び込んで来る陽の光が無ければ歩く事すらも出来ないほどだった。私はその先頭に立ち、軋む床板を踏みしめながら歩く。建物の中も、驚くぐらいの洋服が散らばり、所々に現れる裸体のマネキン人形に誰しもが小さな悲鳴をあげる。

「なぁ」と、背後から一人の男子が声を掛けて来た。名前はD君。さっきまでYの威圧的な行動に対し、意見をしてくれていた子だ。

「どうしたの?」と私が小声で聞けば、「なんかぁ……背後にもう一人いるような気が……」と、言いかけた所で気が付いた。「とぅー、とぅ-」と、やけに奇妙な息づかいが背後から聞こえる。私は咄嗟に、「振り返らないで」と、皆に厳しい声でそう告げた。

 鼻をすする音がする。どうやら何人かはべそをかいている様子だ。私は四人に、「私の服の裾を掴んで」と促し、背中に全員の手がある事を確認しながら建物の裏口を目指した。

 時折、建物内に大きな姿見が置かれている箇所があった。通りすがりにそれを覗けば、確かに私達の背後から付いてくる巨大な影があった。何故かそれはひどく痩せ細った裸体の女性で、その「とぅー、とぅー」と言う息づかいもその女性の発するもののようだった。

 やがて、裏口へと辿り着く。皆は文字通り、転げるようにして外へと飛び出した。そうして建物をぐるりと周り正面玄関へと向かうと、何故かそこにいた筈のYの姿が無い。

「Yちゃん、逃げたな」と、誰かが言った。すると誰もが堰を切ったかのように、「卑怯もん」とか、「腰抜け野郎」とか、罵り声が上がり始めた。

 私達がその屋敷を後にする際、背後からまたしても「とぅー、とぅー」と小さく聞こえて来た。私は声には出さず、「Y君を差し上げますから、私達は帰らせてください」とお願いをした。

 そして結局、Yは本当に帰って来なくなってしまった。当然、私達はYの行方を尋ねられたのだが、全員が全員、「Yが悪い」と証言したのだろう、私達はお咎め無しのまま、逆にYの両親が責められて終わりとなった様子だった。

 どうやらYの両親自体も、地元ではかなりの悪評を持った人だったらしい。誰もその両親を庇う人は出なかった。そして何故か私はクラスの中でやけに一目置かれる存在となり、例の取り巻きの子達からはやけに慕われるようになってしまった。

 これは後日談になるのだが、つい最近、未だ実家住みのD君から連絡が来た。実に二十数年ぶりの電話である。

「お元気? 久し振りね」と、挨拶もそこそこ、「実はYを見掛けたんだ」と、D君。

 どうやらYが、D君の家を訪ねて来たらしい。しかもその格好はと言うと、あの当時のままの背格好で、服装もあのはぐれた時のものだったらしい。

「D君いますか」と、彼の家を訪ねて来たY。D君は「俺がそうだけど」と答えると、Yはまるで絶望でもしたかのような表情で去って行ったと言う。

「どこ行くの?」とD君が聞けば、「家に帰る」と、泣きそうな表情でYは言う。

 もちろん、とうの昔にYの家は無い。

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