#235~236 『呼ばれる家』

 大学生になる娘、由子(ゆうこ)が、昨夜から帰って来ないのだ。

 思えば無断外泊は初めての事だった。一応、成人を迎えた大人ではある。だが、一緒に暮らす親としてはやはり心配なのだ。

 電話をしてみるが出ない。そう言えばと、思い出す。由子はさんざ嫌がったのだが、彼女の持つスマートフォンにはGPS追尾アプリが入っていて、私のスマホでもその位置情報が追えるようになっているのだ。

 良いのか悪いのかは分からないが、とうとうこんなものを使う時が来たのだと思いながらそれを起動してみると、画面に赤い丸印が表示される。見れば比較的近所だった。

「由子はここにいるわ」と夫に話すと、機械に疎い夫は困った顔をしながら、「どう言う事だ」と聞いて来る。やはりこの人はあてにならないと諦めながら、私は単身、その場所へと出向く事にした。すると夫も、「一緒に行こう」と車を出してくれたのだ。

 辿り着いた場所は、廃屋然とした一軒家だった。元はそこそこに裕福な人が住んでいたのだろうぐらいには大きい、三階建ての白い家である。

 私は車から飛び降りるようにして、その家の玄関へと走って向かう。位置情報を確かめる。私の位置と、由子の持つスマホの位置情報が完全に一致していた。

「由子! どこなの!?」玄関を開けて大声で叫ぶ。完全に廃屋である事を確かめて、私は土足でその家へと上がり込む。だが、どこからも由子の応えは無い。

 ふと気が付く。電話を掛けてみようと思ったのだ。コールしてすぐに、家のどこからか着信音が鳴り出す。間違いなくここにいると思いながら、私はその音を頼りに歩き出す。すると――

 プツッと音がして、「もしもし」と、由子の声が聞こえたのだ。

「もしもし、由子?」ほとんど怒鳴るような口調で問えば、「お母さん」と、由子は返事をする。しかもその声は二重で、電話越しの声ともう一つ、この家のどこからか聞こえて来る由子の声が重なっているのだ。

「ねぇ、どこなの? 返事して」言いながら家の中を歩く。微かだが、その電話機の向こうから私自身の声も聞こえる。――二階だ。と私は直感して、階段を駆け上った。

「ねぇ、お母さん。ねぇ――」と、由子は泣きそうな声を上げ、「ここにいるの」と言う。

「どこなの?」と、私。「ここ――ここにいて」と、由子。

「ここにいて欲しいの」

 同時に腕を掴まれた。見ればそれは酷い形相の夫だった。

「何してるんだ。帰るぞ」と、夫は訳の分からない事を言う。私は由子を探しているのと怒り気味で話せば、「由子は今夜帰って来るから」と、ほとんど暴力的な強引さで家から引き摺り出され、車に乗せられた。

 そして夫の言う通り、由子はその晩、何事も無かったかのように帰って来た。

 どこに行っていたのと聞けば、友人と一泊旅行に行ってたよと、不思議そうな顔で言うのだ。

 どうやらおかしいのは私の方だったらしい。由子は無断外泊でもなんでもなく、ちゃんと旅行に行く旨を伝えた上で、家を出た。しかも、私自身も「気を付けてね」と送り出したと言うのだが、その記憶は全く無いのである。

 その日の私の奇行については、夫は黙っていてくれた。だが確実に、それを引き金に私は病んでしまっていた。

 翌日からは私の奇行が続いた。突然、強く腕を掴まれ、「何やってるんだ」と夫に怒鳴られる。気が付けば私は、例の廃屋にいるのである。もちろん、そこに辿り着くまでの記憶も、家に上がり込む記憶もまるで無い。そんな奇行が半月ほど続き、私はとうとうそんな自分に嫌気が差し、精神科を訪ねる事になった。

 鑑定の結果、“要入院”と言われた。私自身がおかしいと言う結果が出たのだ。

 だが、その結果が私を打ちのめした。病んだ原因は、娘と夫の死だと言う。

 娘は、友人と一緒に旅行に行くと出掛けて帰らなくなった。数週間後、とある近所の廃屋にて他殺体として発見されたと言う。そして夫は、自分を責めた挙げ句、娘が亡くなった場所にて自殺したのだと聞いた。もちろん、そこまでの記憶は私の中に一切無い。

「私は病んだ挙げ句、幻覚を見ていたんですよ」――と、彼女は僕に語って聞かせてくれた。

 その奥さんは今も某所で入院生活を続けている。その奥さんが呼ばれて通った例の廃屋が、娘さんの殺された場所なのかどうかは知らないと言う。

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