#219 『お気になさらず』

 真夜中、某県境を友人の運転する車で走行していた時の事。

 車内には計、四人が乗っていた。遊びすぎて疲れたのか、それともここまで帰りが遅くなった事への不満か、なんとなく全員が険悪なムードとなっていた。

 カーブの多い峠道が続く。街灯はまるで無く、すれ違う車すらも見当たらない。運転する友人はなるべくスピードを抑え、安全な走行を心掛けているように見えた。

 そこに突然の急ブレーキ。どうしたと、皆が驚く。するとカーブを曲がった先に、道路脇を歩く女性の後ろ姿があったのだ。女性は何の灯りも持たず、この漆黒の暗闇を一人で歩いているらしい。

 だが、どうも妙なのである。僕らが運転する車には確実に気付いている筈なのに、まるでこちらを振り向こうとはしないのだ。

「どうする? 声掛ける?」

「いやいや、やめとこう。気味が悪い」

 そんな問答が一通り交わされた後、結局その女性を追い越して車は走り出した。

 少し進んで、「やっぱ戻ろう」と友人の一人が言い出す。「そうだな」ともう一人が賛同し、「いや、やめようぜ」と、僕と運転手の友人が反対する。

 この暗い中、一人で歩かせるのは気の毒だろう。いや、普通に考えたらこんな真夜中に峠道歩いている時点でおかしいだろう。――そんなやりとりが交わされた後、助手席の友人が「停めろよ!」と一喝し、またしても車は急ブレーキで停止した。

「戻ろうぜ」と言われ、「そうだな」と、全員の意見がまとまった瞬間だった。少しだけ開けた後部座席の窓から、「大丈夫ですよ、お気になさらず」と、女性の声が聞こえた。

 全員でそちらの方へと振り向く。路肩から笑顔でこちらを見る女性の姿がそこにあった。

 先程、その女性を追い越してから数キロは走った筈なのである。

 何も言わずに車を急発進させる友人。今度は誰からの制止も入らなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る