#201 『廊下を横切る』
自宅で個人事業をしているのだが、仕事が増えて手狭になってしまった。
新居はすぐに見付かった。マンションの二階なのだが、一人で住んで仕事をするには充分過ぎるほどの広さだった。
但し、越してその翌日から怪異が始まった。朝、洗面台の鏡に向かって歯を磨いていると、その背後にある廊下をショートカットの制服姿の女の子が通り過ぎて行くのだ。
慌てて振り返る。当然そこには誰もいない。だが再び鏡を覗けば、玄関で靴を履いているのだろう女の子の背中の辺りが見え隠れしていた。
それからと言うもの、その怪異は休日以外、毎日のように起こった。しかもいつもその女の子はどことなく変化があり、日によっては手提げカバンが二つだったり、テニスのラケットを持っていたり、遅刻でもしそうなのか慌てていたりと、様子がいつも違って見えた。
いつしかその怪異は僕にとっての日常になっていた。怖いどころかその子を見たくて、寝坊などせず毎日決まった時間に起きるようにまでなっていた。洗面台の前で歯を磨きつつ、常に元気そうに出掛けて行く姿に「行ってらっしゃい」とまで言う程である。
だがある日を境に女の子の服装が一変する。今までは高校生であろう制服だったものが、OL風のスーツ姿となり、急に大人っぽくなったのだ。しかも変化はまだあった。最初の頃は服装が変ってもいつも通りに元気に出掛けて行っていたのに、次第にその表情は暗くなり、とても足取り重そうに玄関へと向かうようになって見えた。
大丈夫かなと心配はしたが、相手は実体の無い存在である。声を掛けた所で届く筈もなく、僕は毎日、その後ろ姿を見送るだけ。
ある日の事、いつもの通りに憂鬱な顔で洗面所の前を通り過ぎて行く女の子。「行ってらっしゃい」と僕が声を掛けると、少ししてその子は玄関から取って返し、早足でリビングの方へと向かって行ったのが見えた。
どうしたのだろう? 疑問には思ったが、理由を知るすべは無い。
その日は得意先との打ち合わせがあり、外出する予定だった。僕が服を着替えて準備していると、やけに外が騒がしい。遠くからサイレンを鳴らしてパトカーや救急車がやって来て、マンションの前で停まる。そうして僕がエントランスを抜けて外へと出ると、そこは警察官や野次馬で道路が封鎖されるぐらいに人だかりとなっていた。
「六階のベランダから飛び降り自殺」と、誰かの噂する声が聞こえた。見れば、人だかりしている場所は僕の住む二階の部屋の真下だった。
そこに転がっているであろう遺体は安易に想像が出来て、僕にはそれを確認する勇気が持つ事が出来なかった。
そして予想した通り、廊下を横切って行く例の女の子の姿は、それ以降一切見なくなってしまった。
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