#173~174 『住まない物件』

 僕は不動産会社の管理部門で仕事をしているのだが、いくつか、“腑に落ちない物件”と言うものがあり、今回はその中の一つを紹介したいと思う。

 人の住まない物件――とは言っても、それは別に事故物件でもなんでもなく、新築のアパートメントの二階角部屋。とても好条件な部屋なのだが、建って三年も経つと言うのに未だ借り手が付かない。営業の人に話を聞いても、内見までは入るのだが、どうしても部屋を見た後で「別の所がいい」と客が言い出すのだそうな。

 実際に僕自身もそこへと足を運んで中を見た事が何度かあるが、リビングが畳敷きの和室であると言う事以外、特に変った事は何も無いのだ。

 ある日、部長がしかめっつらで僕を呼びつけ、とんでもない事を言い出した。「お前、一回あの部屋で寝泊まりして来い」と。

 何でですかと言い返せば、どうやら大家がご立腹で今月中に入居者入れろと言い出しているらしい。そこで、何であの部屋だけ人が入らないのかを調べて来いと言う訳だ。仕方なく僕は、最低限の荷物でそのアパートへと向かい、一晩をそこで過ごす事にした。

 中へと入ると、当然の事ながら調度品と言うものが何一つ無い。僕はがらんとした寂しい空間に寝袋を敷き、部屋の隅にはパソコンを置き、その内部カメラを使って撮影を始めた。

 正直、夜までは何も起こらなかったし、その後も何も起こる気配が無い。パソコンを録画用に使っているので、スマホでゲームをする以外、何もする事が無い。仕方なく僕は部長に電話を掛け、早々に寝る事に決めた。

 部長は、電話には出なかった。しょうがないので留守電に、「何も起きませんでした。もう寝ます。おやすみなさい」とだけ入れて寝袋にもぐり込む。そしてその翌朝、会社へと向かって初めてその異変に気付いた。

「お前昨日、俺に電話しただろ?」と、部長。えぇしましたよ。まだ夜の九時なので起きてるかなと思いましてと僕が言うと、「すまん、ちょっと飲みに出ていた」と部長は謝った上で、「お前、女連れ込んでなかったか?」と聞く。

「女ですか。それはちょっと皮肉にしか聞こえないんですけど」と笑うと、部長は大真面目な顔で、「冗談言ってる訳じゃないんだ」と、僕にスマホを渡して、「聞け」と言う。

 新築だと言うのに、借り手の付かない賃貸物件があった。何があるのかを確かめる為、僕は部長の命令でその物件に一晩泊まる事となった。

 その夜、部長の留守電にメッセージを入れた僕は、翌日会社で部長にその留守録を聞けとスマホを渡された。

 それは確かに僕が入れた昨夜の留守録だった。昨日僕が言ったであろう台詞を、そっくりそのまま再現している。「何も起きませんでした。もう寝ます――」と話しているその背後に、不鮮明だが間違いなく女性のものであろう声が入っていた。少々遠いので何を語っているのかまでは分からないのだが、なんだか詩の朗読のような棒読み加減の口調だ。

「本当に誰も連れ込んでないな?」と念押しされたので、僕は「録画しているので確認してください」と、手に持ったパソコンを渡した。部長は、「俺が見るからお前はそっち行ってろ」と、僕を邪険に扱う。そうして実際に画像を確認しているのだろうか、突然部長は両手で頭をおさえて苦悶の表情になる。

「何か写ってるんですか?」と、僕は慌ててそれを覗き込むと、意外にも画面は真っ暗なだけであった。

 部長はすぐにどこかへと電話をして、そして僕を連れてそのアパートへと向かう。向かった先には何故か神主さんがいた。神主さんは一通りその部屋をお祓いした後、今度は僕のお祓いも始めたのだ。

 会社へと戻り、「何でですか? 何も映ってませんでしたよね?」と、部長に食って掛かれば、「最初から見ろ」と、パソコンを渡された。

 再生ボタンを押す。まずは僕の顔のアップがあり、「録画になったかな?」と言う声に続いて僕が寝袋の方へと引っ込めば、そこには僕を見つめる“もう一人”の女性が座っていた。

「たぁたぁ、とぅーとぅー、そのなよなぬなう……」と、棒読み口調の女性の声が遠くから聞こえる。

 僕がパソコンの前から退くのを確認した後、今度はその女性がパソコンの前へと座り、そして食いつくように眺めた後、カメラに向かって思いっきり顔を近づけた。

「あなたのためだけ、あなたのために、ためだけで……たぁたぁ、とぅーとぅー……」

 暗転――僕が見た真っ暗な画像は、その女性の顔のアップだったのだ。

 それから少し経った頃、例のアパートを借りたいと言う人が現れた。三ヶ月経った今も、まだその住人はそこに住み続けている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る