#161 『二人いる』
昼下がり、部長が自分の机でこっくりこっくりと居眠りをしていた時の事だ。
連日、家に帰れてないのだろうシャツの襟は黒く汚れており、微かに体臭まで匂って来る程度なのだ。どれだけ疲労しているのかは想像出来るぐらいなので、居眠りごときでは誰も何も言わない。もちろん私も何も言わずにそこを通り過ぎようとしていた。――だが
向こうから歩いて来るのは、まさに今、私の背後で居眠りをしている筈の部長の姿。
「えぇ?」と口を押さえて眺めていると、その部長、寝ている方の自分の姿を見付けてそそくさとトイレの中に籠もってしまった。
「部長、起きてください」と揺り動かし、私は今あった事実をそのまま本人に告げた。すると部長は、私の話を笑い飛ばすどころか、「それどこ行った?」と聞き返し、慌ててトイレへと駆け込んだのだ。
またある時は、おおごととなったクレームの対応で部長自らが出向いた際にも同じような事が起こった。「行って来ます」と出掛けて行ったのはいいのだが、忘れ物でもしたかすぐに帰って来て、何事も無かったかのようにデスクワークを始める部長。周りの人達も、「行かないのかしら?」と噂をしたぐらいだった。
そこに当人から電話が掛かって来た。それを受けたのは私なので、まだマシな方だった。
「クレームの件は無事に折り合いましたので、担当にそう告げてください」と、至ってのんきな事を言っている。私は小声で、「部長はまだ会社にいます」と告げると、部長は「会社の横の公園にでも追い出しておいてくれ」と言う。
どうやらある時から部長は、極度に「家に帰りたい」と思うと、自然に分離するようになってしまったようで、何度かそれで困った事になったと言う。
ある時、本部の常務が会社に来て、皆の前で部長を怒鳴りつける場面があった。皆はそれを少しだけ遠巻きに見ていたのだが、その輪の一番後ろに部長本人が立っていて、同じように眺めている事があった。私はすぐにそれに気付き、慌ててロッカールームへと押し込んだ。
ほどなく部長は、自ら望んで地方の支部へと移って行った。
別れ際、部長は何度も私に頭を下げて「お世話になりました」と苦笑していたのだが、今以て時折、社内で部長の姿を見る事がある。
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