#154 『床下の散歩者』

 父と母が離婚した。一番上の姉だけが父と一緒に暮らす事となり、次女の私と弟は、母に付いて出て行く事となった。

 新居は驚くほどに豪華な洋館だった。何でも築七十年ほどの建物らしいのだが、その古さが逆に新しく感じるほど、瀟洒に見えた。

 荷物を運んでくれた父が、「お父さんの、母方の兄弟が買い取って暮らしていた家だよ」と教えてくれた。要するに父にとっての叔父と呼ばれる人物が購入したものらしい。

 その家は三人で暮らすにはあまりにも贅沢過ぎた。なにしろ部屋数が多いのだ。私は見た瞬間に「ここがいい」と感じた天井裏の部屋を自室に決めたのだが、朝起きてキッチンに向かうまでに、長い廊下と、階段を二階分降りなくてはいけないぐらいなので、少々不便ではあった。

 最初の内は全くなんの問題も無かった。家に異変が起こり始めたのは、住んで一ヶ月が過ぎた辺りからだった。

「また聞こえるよ」と、弟が不安そうに言う。確かに聞こえる、私達以外の“誰か”の足音だ。

 異変は全て、“音”だった。それは今のような誰かの足音だったり、時には咳払い。溜め息。または笑い声などだ。その中でも一番ひどいのが、母の自室付近で良く聞こえる、とても不鮮明な音楽や人の話し声。おかげで母は不眠症となり、とうとう精神科にまで通い始めるようになってしまった。

 その頃だったと思う。父から電話で、前に住んでいた叔父がノイローゼとなってその家から離れてしまったと言う話を聞かされた。理由はなんとなく分かった。今まさに起きている現象がその原因なのだろうと。

 ある休日、弟の姿が見えない事に気付き、家の中を探し歩いた。すると弟は母の自室の床に倒れ込んでいたのだ。私は慌てて駆け寄ると、弟は「シッ」と口に指を添え、そっと床を指さす。そして私も弟の真似をしてみた。床に寝転び耳をあてがう。すると確かに聞こえて来る。“床下”から、何かの曲が流れているのだ。

 それからは弟と手分けをして、床下へと入り込むための入り口を探した。だがそれはどこにも見当たらない。仕方なく私は父に連絡を入れると、なんと父は姉と一緒に大工道具を持って駆けつけて来てくれたのだ。

 床板を外しもぐり込む。そして驚く。床下にはさらにもう一部屋あったのだ。

 天井は低いが、そこは確実に人がいたであろう空間だった。ソファーがあり、照明もあり、そしてその床下で鳴っていたのはレコード盤の回る蓄音機。更に驚くべきは、床下の部屋はそこだけではなく、私達の住居部分全てに、その床下の部屋が存在していたのだ。

 怪音の原因は分かった。だがそこにいたであろう人の存在が分からない。その上、その床下のスペースに入り込む為の出入り口がどこにも見付からない。

 私達はすぐにその家を離れた。後日、父が叔父に連絡を入れた所、叔父もまた、「その床下に自由に侵入可能な出入り口が見付からなかった辺りで、私も精神の限界を迎えた」と、言っていたらしい。

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