#143 『ライブシアター』

 今はもう居酒屋となってしまい存在こそしてはいないが、新宿二丁目に知る人ぞ知るミュージックライブシアターがあった。

 当時私は新宿でピアノ講師の仕事をしていたのだが、同じ講師仲間から声を掛けられ、生徒の発表会を兼ねた演奏をそこでとり行う事となった。今回は何も起こらなきゃいいけど――と、小声で講師の何人かが呟くのが聞こえた。

 当日、リハーサルの段階から妙な事が続いた。まず、ピアノの調律師から、「いい加減ピアノ空けてくれないと、仕事出来ませんよ」と苦情が入る。なんでもステージの隅にあるピアノの前に、鍵盤をずっと撫でている女性が座っていたと言うのだ。

 次にPA(音響係)から、「マイク入れないで!」と叱咤の声が飛ぶ。何でもステージの上のマイクにずっと誰かが息を吹き掛けている音が入っていたと言うのだが、もちろんそこに誰も人はいなかった。

 他には楽屋のドアが勝手に施錠されるとか、トイレの個室がどれも全然空かないのだが、中には誰もいそうにないとか、細かい事を挙げて行けばキリが無かった。

 やがて本番が始まる。最初の異変は、ステージ上の照明が落ちて真っ暗になると言う事件からだった。

 次は本番中に、エレクトーンの音が消えると言う現象が立て続けに何度か起こった。当然、客席からは密やかな野次と溜め息等が聞こえて来た。

 PAはしきりに、「声が混じる」とか、「関係無い呼吸音が入るんだけど、どこ?」と、かなり神経質になっており、照明係もまた、「勝手にスイッチ入るし、逆に入れても点かない時がある」と小言を漏らしていた。

 それでもなんとか時間を押しつつスケジュールは進み、もう後は上級者達ばかりの演奏を残すのみとなった頃だった。ざわざわと、客席から声が聞こえる。私はステージ横から客席へと降りて何事かを訊ねて回ったのだが、聞けばどの人も口を揃えて、ステージの袖の辺りに人が立っていると言うのだ。

 指さす方向を見れば、そこはステージを横切らなければ辿り着けない下手の方。その照明の当たらない暗がりで、時折ステージを覗くようにして顔を出していると言う。

 いや、そこには誰もいない筈。そうは言っても客席からはそう見えているのだ。私はなるべく冷静を装い、「後で注意しておきますね」と誤魔化す。その時だった――

 ステージでは演奏者の入れ替わりで、講師の男性が次の生徒の紹介をしている所だった。

 その瞬間で、ピアノが勝手に鳴り出したのだ。もちろんまだ演奏前であり、そこには誰も座ってはいない。

 そして再びの照明トラブル。ステージは突然、暗闇に包まれ、客席からは悲鳴が上がる。

 翌年、そのシアターホールは閉鎖となったのだが、閉められた理由までは聞かされていない。

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