#141 『二階まで持って来て』
免許取り立ての姉に付き合って、海までのドライブへと行った帰りの道での事だ。
峠道をくだり、大きなカーブを曲がった辺りで車に異変が起きた。ボコ、ベコと、異様な音が鳴り、天井に頭をぶつけそうになる。――まさかのパンクだ。しかも前輪がイカれたらしく、それ以上は走れそうにない。
どうしようと途方に暮れていると、少し先にドライブインの看板が見える。頑張ってそこまで辿り着こうと、姉は懸命に車を操った。
そこはもう既に営業はしていない店だった。山道の道路脇に建てられた小さな食堂で、かつては観光客相手にひらいていただろう感じの店であった。見上げれば二階が住居スペースのようで、なんとなく人は住んでいそうな様子もある。
「すみません」と、店のドアを開ける。少しカビ臭かったが、すぐにまた営業は出来そうなぐらいに片付いている様子に見える。
何度か声を掛けるも誰の応答も無い。仕方なく姉は、「お借りします」と店の電話の受話器を上げれば、局の案内サービスから近隣の自動車修理工を紹介してもらい、なんとか現地まで修理をしに来てくれる事となった。
良かったと安堵するのも束の間、すぐにその電話機が鳴り出す。姉が恐る恐る受話器を上げれば、「ハイ、ハイ――」と言う返事の後に、「申し訳ありませんでした」と、電話に向かって頭を下げた。様子の分からない僕に、姉はジェスチャーで店の天井を指さす。どうやら店のオーナーは家にいたらしい。姉はさんざ謝った後、財布から千円札を取り出すと、迷った挙げ句その電話機の横へと置いた。
やがて修理屋さんがレッカー車で来てくれた。店の横の駐車場で、「ここで直しちゃおう」と若い修理工のお兄さんは言ってくれたのだが、どこから電話したのかと言う問いに、この店の電話からと姉が答えると、そのお兄さんの顔色が変わった。続けて姉が、勝手に店の電話を使った事を咎められ、ちゃんと電話代は払いなさいとまで言われた事を告げると、その修理工のお兄さんは作業の手を止め、「レッカーで移動して、工場で直そう」と、そそくさとその店を後にしてしまった。
工場で、そのお兄さんはとんでもない話を聞かせてくれた。あの店のオーナー夫婦は、今月の初めに、二階の自宅スペースで亡くなったばかりだと。原因は、経営不振の借金苦だったらしい。
姉は言う。横で男性が「ちゃんと電話代払えと言え!」と怒鳴り、その奥さんだろう人が電話越しにそれを伝える。しかも最後には姉に向かってこう言ったらしい。
「悪いけど、電話代、二階まで持って来てくれる?」と。
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