#137 『ひぐらし』

 姉の部屋の窓を開けっぱなしにしていると、時折、風に乗ってひぐらしの声が聞こえて来る事がある。

 カナカナと言うどこか物悲しい蝉の声は、夏の終わりを感じさせてくれる叙情的な鳴き声ではあるのだが、どう言う訳か姉の部屋の窓から聞こえるひぐらしの声は、季節など関係なく一年中聞こえて来るのだ。

 姉は高校卒業と共に東京の専門学校へと進み、そのまま美容師として向こうで暮らしている。もう田舎には戻らないと言う事なので、僕は自分の部屋と隣の姉の部屋を隔てている壁を取り払い、ひと続きの大きい部屋にした。そして、元は姉の部屋であった所の窓を開けると、季節はまるで関係なく、時折ひぐらしの声が聞こえて来る事があるのだ。

 だが、聞こえて来たからと言って何かが起こる訳でもなく、その内に全く気にならなくなってしまっていた。

 ある春先の事、少しだけ長い休みが取れたと言って、姉が帰省して来た。僕はもう姉の部屋が無い事を詫びると、「兄弟なんだからそんな事気にするな」と笑い飛ばし、同じ部屋で寝泊まりすると言い出した。

 晩飯の後、僕と姉はつもる話が途切れないまま、ビールを持って部屋へと戻った。

 話は夜更けまで続き、姉は風に当たりたいと部屋の窓を開けた。ふうわりとした春の冷たい風と共に、どこからか寂しげにカナカナと言うひぐらしの声が聞こえて来た。

 一瞬で姉の表情がこわばるのを感じた。僕もまた、さすがにこれは聞かせるべきではなかったと後悔するも、「どうしてここでも聞こえるの?」と、姉は意味不明な事を口走る。

 聞けばどうやら、姉が住んでいる東京のワンルームでも同じ事が起こっているらしい。

 共通点は、あった。過去と現在と言う違いはあるが、どちらも姉が暮らしている部屋である。それは姉も気付いているらしく、しばらく考え込んだ後、「明日、ちょっと墓参りに行って来る」と言い出した。

 家の墓かと聞けば、どうやらそうではないらしい。だが明確にどこの墓だとも教えてはくれない。しかし翌日、姉が家へと戻って来て以来、窓からひぐらしの声が聞こえて来る事はとても稀となった。

 それでも、全く無くなった訳でもない。今でも時々、季節外れのひぐらしの声に顔を上げる事がある。そして僕はその度に、姉に何かを伝えたいと今尚願う、どこかの誰かの事を想像してしまう。

 もしかしたら東京で住む姉の部屋でも、同じようにまだ、ひぐらしの声が聞こえて来る事があるのかも知れない。

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