#136 『始発』
旧友と再会した勢いで、朝方近くまで飲み明かしたその日の帰り。俺はまだシャッターが開いていない駅の改札の前へと座り込み、始発の電車を待っていた。
やけに冷え込む日だった。これで朝日が昇ればそうでもないのだろうが、まだどっぷりと深夜がうずくまっているような時間帯では、身体が痙攣でもしているかのような小刻みな震えがおさまらなかった。
やがて改札が開く。俺はふらつく足で階段を降り、空気の冷たいホームへと向かう。
降りた所から一番近いベンチに腰を下ろした。向こうを見れば駅のロータリー。この時間だと僅かにタクシーが二台ほど停まっているだけだ。あぁ、眠いなぁと思いながら右手方向へと視線をやれば、ホームの一番端の辺りに誰かが立っている。
あれ、おかしいなと思った。シャッターが上がった時、そこには俺しかいなかった筈。自分よりも後に来て、あんなに離れた場所まで移動するには少々妙である。
「昨夜からここにいたんだったりしてな」と、俺は笑う。そして再びそちらを向けば、なんだか先程とは少々様子が違っていて、若干だが少し近付いて見えた。
あれ? と思い、ほとんど瞼の開かない目をこすってもう一度見る。なんだか更に近付いたように思える。四度目に見た時には、もう既にそれがどんな人間なのかまで分かるぐらいまで来ていた。茶系のズボンに白いセーター。頭にはニット帽をかぶった女性。おそらくは若い女の子であろう人が、こちらに背を向けた状態で立っている。瞬間、ゾッとした。近付き方の速度が尋常ではないのだ。
どうしようか。一回、改札まで戻ろうかと、またしても視線を外してしまう。そしてまた、しまったと思いつつその人影の方へと視線を戻せば――いない。もうかなり近くまで来ていた筈なのに、その姿が無いのだ。
「どうして?」きょろきょろと辺りを見回し、最後に後ろを振り返る。
いた。ベンチを挟んだ俺の真後ろに、それはいた。あまりの驚きにその場で崩れるようにして倒れ込む。そのまま固まった状態でどれぐらい経ったのだろうか。ホームに電車が滑り込んで来て、俺は這うようにしてそれに乗り込んだ。
車内にはまばらだが数人の乗客がいた。俺は安心して席に座ると、やがて電車は動き出す。見れば、もはや先程のニット帽の女の姿は無い。
「何だったんだ、一体」と小声でつぶやき、流れて行くまだ暗い街の風景を眺める。
そこにあの女はいた。車内の明かりが窓で照り返され、俺の真横に座っているニット帽の女の姿がはっきりと見えていた。
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