#127 『彼女の眼鏡』
この話は他人に語るまいとずっと思っていたのだが、彼女を忘れないためにもここに記しておこうと思う。
三年付き合った彼女と別れた。一方的に、無理矢理な理屈で振られたのだ。
その本当の理由は一年後に分かった。彼女は重い病に掛かり、余命宣告を受けていたせいだ。
彼女の両親に呼ばれて、いくつかの形見分けをされた。その中には彼女が愛用していた眼鏡もあった。もしかしたら僕が交際当初に言った、「眼鏡が似合うね」という言葉がそうさせていたのだろうか、亡くなる数ヶ月前には両目とも失明していたらしいのだが、いつも彼女はその眼鏡だけは外さずにいたと言う。
素直に言ってくれれば、亡くなる直前まで一緒にいたのにと僕はその場で泣き崩れたのだが、両親は、どんどん衰えて行く姿を見られたくなかったのだろうと僕に話してくれた。
それから、彼女との想い出を引きずったまま二年が経った。ある日の事、突然の来客で玄関のドアを開けてみれば、そこには亡くなった筈の彼女が立っていた。驚く僕に、「妹です」と、その女性は笑ってそう答えた。
「姉がお世話になりました」と言う挨拶から始まり、しばらくは彼女との思い出話を語り合った。妹は彼女と瓜二つだった。眼鏡をしていない部分だけを除けば、まるで本人だと思えるほどに似ていた。
やがて妹はこう切り出した。「姉と同じ病気に掛かりました」と。その上で、私には姉と違って彼氏もいなければ友人もいない。もしあなたさえ良ければ時々見舞いに来てはくれないかと。
僕は二つ返事でそれを了承した。毎日行きますと。むしろ言葉にはせずとも、仕事を辞めてずっと彼女と一緒にいようとすら思ったぐらいだった。
帰り際。玄関を出た所で妹は振り向き、「今日はありがとうございました」と笑った。いつの間にしていたのだろうか、彼女は眼鏡を掛けていた。そうして笑うと、もはや生前の彼女そのものにすら感じた。
「頑張ってね」と、手を振って去って行く妹を見送った後、彼女の形見だった眼鏡が無くなっている事に気付く。そうして、さっきの妹の眼鏡がそうだったのだろうとようやく理解した。
後日、久し振りに彼女の両親に連絡を入れた。妹さんのお見舞いの件ですと伝えると、驚いた事に「我が家には妹はいない」と言う返事がかえって来たのだ。おそらく、あれはきっと彼女本人だったのだろう。あらためて見てみれば、いつの間に持って行ったのか、形見分けされた全ての遺品が消え去っていた。
それから少しして、僕には別の彼女が出来た。今でもたまに亡くなった彼女の事を思い出す事がある。だが彼女がくれた最後のメッセージ通り、今の彼女と一緒に前だけ向いて生きて行こうと思っている。
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