#119 『フロント』

 悪友数人で、ホテルの廃墟探訪へと出掛けた時の事だ。ほぼ全員が散り散りになって、各部屋を回って歩いた。

 そして俺がとある部屋のドアを開けた時だった。部屋の中から人の声が聞こえたのだ。

 出たかと身構えたが、良く聞けばそうではない。既に友人の一人がそこに来ていたのだろう、それは明瞭な人の話し声だった。

 だが、誰と? 耳を澄ませても声は一人分しか聞こえない。俺が懐中電灯で真っ暗な部屋の中を照らすと、ベッドの枕元に備え付けられているプッシュフォンの受話器に向かって、何やら必死に文句を言っている友人Fの姿があった。

 どうしたんだと問えば、Fは憤慨した表情で「フロントに苦情を入れている」と言う。だがその肝心の電話機は根元からコードが千切れていたし、何よりもここは廃墟だ。通話うんぬんの前に、苦情を言える相手などどこにもいない。

 俺はすぐに、残りの友人達に連絡を入れる。いくら止めても、しつこく受話器に向かって文句を言い続けるFを、そこから連れ出す為だ。 

 車に戻ったFは大人しくはなったのだが、今度は逆に何も話さない。友人達は「取り憑かれたかな」と笑ったが、実際は本当にそうだったのだろう。翌日、Fの両親より連絡が入り、「Fがいなくなった」と告げられた。俺達は責任を感じ、当たりを付けて探しに行けば、Fはやはり例の廃墟の一室で、フロントに苦情を入れていたのだ。

 俺がFから受話器をむしり取り、他の友人達は無理矢理にFを外へと引きずり出す。どうやらFはしばらくの間そこにいたらしい、見れば電話機の傍には財布やら家の鍵やらが散らばっている。そのままにしてはおけないので、俺が部屋に残ってそれらを拾い集めていると、どこからか声が聞こえたのだ。

「もしもし――もしもし――」と、男性の声。まさかとは思ったのだが、俺は転がった受話器を拾い上げ、それを耳に当ててみた。

「もしもし、フロントですが」間違いなく、その声は聞こえた。

 但しそれは受話器越しの声ではなく、俺の立つすぐ背後からの声だった。

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