#110 『空の散歩者』

 私には幼い頃より憧れの人がいた。きっとそれは初恋でもあっただろう、いつも私の傍にいてくれる、空を歩く人の事だ。

 いつも遠く高い位置にいるので顔や表情までもは分からないのだが、きっと若い男性の人だったと思う。電線をブランコのようにして腰掛けていたり、家の屋根、ビルの屋上、電柱の上などでぼんやりと立っていたり。時には工事現場のクレーンの上で見掛けた事もあった。

 何故だろうか私には、その人に守られている感覚があった。目の端でその人を見付けると、不思議と安心が出来たものだ。

 だが、そうして私が大人になって行くにつれて、次第にその存在が人間のそれではないと言う事に気付き、生まれた違和感がやがて畏怖に変わって行くのはそれほど遅くなかった。

 私が最後にそれを見たのは、確か中学生の頃だったと思う。

 友人数人と遊びに出掛け、街で知り合った男子達とカラオケボックスに遊びに行った帰りに、それを見た。

 自動販売機の上。背中をこちらに向け、しゃがみこみながら顔だけ振り返って私を見ていた。今までで一番、近い距離にいた事だけ覚えている。

 それから私は成人を迎え、就職もし、一人暮らしを始めた頃になってようやく、もう既に目には見えなくなってしまったけれど、今以てその存在に守られているのではと感じるようになった。

 二十二で結婚し、子供が生まれた。女の子だった。

 その子も二歳半となり、歩いて一緒に外を散歩するようになったのだが、時折、遠い目で空を見上げている時がある。

 この子だけは、私のようなつまらない大人にはなって欲しくないなと、いつもそう思っている。

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