#106 『妄想癖』
原稿を入れた帰り、昔良く通っていた焼き鳥屋に立ち寄った。すると俺の顔を見るなり、「あんた今、どこで仕事しとんのん!」と、女将さんからいきなり怒られた。
かつてそこの店の二階が、俺の第二の仕事場だった。自宅で構想を練っていてもどうにも話が浮かばない時、俺は良くそこの二階を借りたものだった。
トイレ無し、風呂無し、ガス台無し。玄関開けたらそのまま部屋で、四畳半一間の畳敷き。
常に階下からの煙で部屋は焼き鳥臭に染まっていたし、窓の外は飲み屋街で一晩中うるさいし、点滅を繰り返すネオンが煌々と部屋へと降り注ぎなかなか眠れないし、単に水道と照明があるだけの牢獄みたいな部屋だったが、それでも一泊千円で借りる事が出来たので、当時はとても重宝していた。
俺は煮詰まると電話も筆記用具も持たずにそこに閉じこもる。案を練りたいなら、横になってひたすら練っていたし、寝たいならとことんそこで寝ていた。だがいつもそこで一泊をすると、不思議と「書かなきゃ」と言う罪悪感が湧いて出て来て、原稿に取り掛かる事が出来たのだ。
「どうかしたの?」と聞けば、「今ねぇ、そこに貧乏一家が住み着いてるんよ」と、女将さん。「あの狭い部屋に四人で暮らしてるんだけどさぁ」
四畳半に四人かよと俺は笑ったが、女将さんはにこりともせずに「五人目がいるんよ」と言った。なんでも、時々部屋に“出る”らしい。しかも大抵は、部屋に一人か二人でいる時にそれは現れるのだと言う。
「マジかい! 俺はそんなの一回も見てねぇぞ」言うと女将さんは、「どうでもいいけど、早くあんたも仕事場探しなよ」と、訳の分からない事を言う。
「どうして?」
「“出る”の、あんたの生き霊だよ」
俺はその帰り、安い物件はないかと駅前の不動産屋に立ち寄る事にした。
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