#97 『常連客の多いレストラン』
年に一度か二度、逢って近況報告する程度の仲の友人がいる。その友人の名前はユキと言う。
「久し振りに逢おうよ」と、ユキから連絡が入った。都内に、どうしても連れて行きたい穴場のフレンチレストランがあるのだと言う。私達はお互いに都合の良い日時で約束し、某所で落ち合った。
その店は、某ビルの地下にあった。店名は、“le cercueil”。同じ区画だがビル自体からは切り離され、外階段を降りてしか行けないそんな店だった。
「確かに穴場ねぇ」と、私はその瞬間までははしゃいでいたが、その店内へと足を踏み込んだ瞬間に空気が変わるのを感じた。
なんと説明すれば良いのだろう。まるで一見さんお断りの店のような、常連客ばかりしか入れない店のドアを知らずに開けてしまったかのような気まずさ。そんな雰囲気が充満している、そんな店だった。
だが意外にも店内には誰の姿も無い。かなり広いスペースの店で、ちょうどディナーの時間だと言うのに、客の姿がどこにも無いのだ。
「ねぇ、良い店でしょう」とユキは言うが、私は気が気では無い。とにかく居心地が悪いのだ。その場にいるだけで、突き刺さる視線と不満、怒りの感情がぶつけられているような感覚があるのだ。しかも微かに聞こえる人々の話し声。食器がぶつかる音。そんなものが肌を通して伝わって来る。
「えぇ、今日もお任せで」と、ユキが大声で話す。振り返るが店員の姿は無い。
「ここ凄いのよ。メニューってものが無いの。面白くない?」言われても私はただひたすら逃げ出したい気持ちで一杯だった。
とうとう私は我慢が出来なくなり、「ごめん、お支払いお願い」と一万円をそこに置いて店を飛び出す。背後でユキが、「ねぇ、ちょっと何なのよそれ!」と金切り声を上げていたが、もう既にそんなものはどうでも良く、とにかくそこにいたら死ぬと言う確信で、私は逃げ出したのだ。
後日、その店をネットで検索する。だがそこにある店は全く違う店の名前で、しかもフレンチではなくメキシコ料理であった。
ちなみにその店の名前、“le cercueil”とは、フランス語で“棺”の意味だったらしい。ユキとは結局、今も疎遠のままだ。
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