#92 『バレンタインデー』
僕には同じ日を五日連続で過ごした経験がある。
今でもはっきりと覚えている。2011年の2月14日、世間ではバレンタインデーと呼ばれている日だ。
正直、なんの変哲も無い日だった。ごく普通に朝起きて、仕事に向かい、いつも通りに顧客から来た乱雑なデータをまとめて帳票へと落とし込む作業。仮にいつもと違う何かがあったとすれば、同じ部署の女性社員が何人かが僕の机の上にチョコの包みを数粒、お供えして行った程度のものだ。
その日は帰りも遅く、晩飯は閉店間際のスーパーの売れ残り弁当。それを500mlのビールで無理矢理に胃の中に流し込み、寝た。
異変はその翌日に起きた。通勤時に見た携帯電話の表示が、昨日と同じ月曜日になっているのだ。
壊れたかなと思った。月曜日が終わり、また月曜日が始まるような地獄なんて絶対に嫌だなと思いつつ会社へと向かうと、毎週月曜日にだけある部署の全体朝礼が待ち構えていた。
昨日と同じ、部長の小言と無茶なスケジュールを聞き、滅入るばかりの「頑張りましょう」の掛け声で机へと向かう。昨日と同じデータを読み込ませ、それを手打ちで整理して行く。電卓で昨日と同じ計算をして、同じ数字を打ち込み、同じアウトプット。なんだこれ、気持ち悪いと思っていると、「どうぞ」と、机の端にチョコが置かれた。
晩飯だけは、同じものを食べる気にはならなかった。その晩は鯖の味噌煮の缶詰だけで済ませ、ビールを飲んで寝る。そしてその翌日にはまた、月曜日が待ち構えていた。
三日目が終わり、そして四日目の月曜日が始まった時に、僕は思った。これは完璧なる地獄なのだと。自らどこかで終わらせない限り、永遠に続く生き地獄なのだと。
五日目の朝、僕は無断欠勤をして、強制終了をする準備に取り掛かった。必要なものはそう多くない。長いロープに、踏み台に、そして邪魔される事のない場所と、そして適正な時刻。それだけあれば充分だ。
思い、夜を迎えて、そして気が付けば朝になっていた。思い残す事なく飲み過ぎたビールのせいらしい。僕は会社からの電話で飛び起き、ぶんぶんと頭を下げて、二時間遅れで出勤した。それは2月15日の、火曜日の世界だった。
上司には怒られるどころか心配された。無断欠勤は、欠勤扱いにはなったが、遅刻は何故か免除してもらった。
あれ以降、同じ日を繰り返す事は無かったが、何故かちょっとだけ生きるのが楽になった気がした。
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